岸和田市|内科・ペインクリニック・リハビリテーション科・訪問診療・訪問看護・在宅ホスピス
17歳14歳12歳の男の子3人のお母さん、まだ40歳。彼女が私の外来に「腰痛」を訴えて受診した時、「私、膵臓癌なんです。」とサラリと告げたことを思い出す。告げられた私は少し動揺して、透き通るような白い顔をまじまじと見つめ返してしまった。
腰痛も渋るような腹痛も、癌からくるものと考えたくもなかったが、彼女は普通の痛み止めは効かないと言った。試しに打ったモルヒネは、とても効いた。眠れなかった夜が眠れるようになった。幸い吐気などの副作用はほとんど出現せず、量を増やすことが出来た。痛みを取ることは、生活の質を改善する。妻であり母である彼女は、家事をこなすことが出来るようになった。治療にも積極的になった。血管内治療や温熱療法など、辛い治療も厭わなかった。
彼女は強い人だった。でも何度か、目の前で泣いた。もらい泣きした。「今を生きよう。」と励ました。自分が彼女ならどうするだろうといつも考えた。
モルヒネの量は増え続けた。少しくらいの眠気、吐き気が出ても、痛いよりはマシと言った。相当に痛かったのだろう。薬代もバカにならなかった。旦那様の負担が大きいことは判っていたが、今の彼女にとっては必要不可欠な経費だったから、一緒にお願いした。
半年間、外来に通院してきたが、ついに一人で歩けなくなった。また、休日や夜間に急に痛んだりすることを怖がった。昼夜を問わず、連絡すれば医師や看護師が来るという安心感は大きかった。訪問診療が始まった。
毎週訪問診察に伺うと、出来る範囲で家事をこなしている彼女がいた。マイペースで、楽しそうだった。けれど、向き合って話し出すと、寝付けない夜、眠ったところで痛くて目が覚めてしまう夜のことを、延々と訴える。何をしていても消えて無くならない痛みがあることを、切々と訴える。1日のモルヒネの使用量は500mgを超えたのに、それでも眠れなくて、食べられなかった。そんな身体で家事や子供達の世話をしている。日々痩せていくのも無理はなかった。痛みを緩和して寝かせるために、鎮静剤とモルヒネの点滴を毎晩22時からした。「朝まで眠れました。」と、嬉しそうな笑顔を見たいがために、看護師達も頑張った。毎日というのはなかなか大変。
モルヒネを減らす唯一の方法は、癌が巻き込んでいるだろう神経叢を破壊することだった。大学病院の麻酔科で、腹腔神経叢ブロックを受けてもらった。まじないみたいな民間療法も、良いと聞けば何でもやった。けれど、どれも功を奏しなかった。
やがて、毎夜だと点滴も辛くもなり、高価な徐放剤もお金が嵩むためモルヒネ水に切り替えた。しょっちゅう飲んでないといけないが、むしろすぐ効くからと好んで飲んでいた。それでも痛みが我慢出来ない時は、看護師に助けてコール。モルヒネの筋注には即効性があった。
うとうとしながらも、最期まで意識はしっかりしていた。最期まで、家族の日常のことを心配しながら旅立って行った。慌てて救急車を呼んでしまった旦那様や、泣きじゃくって離れない息子達が、どれほどお母さんを愛していたか、痛いほど解った。短くても、こんなに幸せな人生だったと、彼女はきっと思っている。