躑躅(つつじ)

 

 

 

最期は家で看てあげたいという熱い気持ちで、お嫁さんが訪問診療のご依頼に飛び込んでいらっしゃったのは、5月の連休に入るまさに前日でした。もう迷っている時間などないから、連休中でも1日でも早く、家に連れて帰ってあげたいとおっしゃいました。428日の月曜日には退院されてくるので、ベッドと在宅酸素の手配が急がれました。

 紹介状には、肺癌の上に、何度も肺炎をおこされ、幾度となく瀕死の状態になったと書いてありました。初回訪問時、意外と明るいその表情から、小康を得ておりしばらくは大丈夫だろうと考えました。しかし、酸素を流用しているにもかかわらず、酸素飽和度は低く、食事が進まないなど、不安の要素はありました。その日は何の連絡もないまま過ぎ、29日の電話確認でも、家での生活を喜んで楽しんでいるといった報告を受け、安心していました。

 ところが、30日の早朝、とても苦しがっているから様子見に来て欲しいと家人から連絡が入りました。呼吸苦と、如何ともし難い倦怠感が、彼を襲っていました。モルヒネの筋注、点滴を施行したところ、あっという間に症状が好転しましたが、その午後には再び、背中と心窩部の痛みを訴え苦しがりました。お腹も張っていて、十分に排便出来ていませんでした。できる限り安寧に、できる限り快適に過ごせるように、あらゆる手段を考慮し、日に何度も足を運び、治療を続けました。

 52日、3連休に入る前日、夕診の前に訪問診察に行きました。麻薬の投与でかなり症状が緩和する事から、持続で皮下注射を開始する用意をして行きました。吸入酸素流量を10L/分に上げても正常の血中酸素の1/3しか無い状態になっていました。声をかけ、できるだけ分かり易く今の状態を説明し、痛みや苦しみを緩和する薬を持続で開始するからと説明すると、何度も何度も頷かれました。顔中に汗をかき、かなり苦しいであろう事が見て取れました。頑張っている姿に、もはや頑張れとかける言葉さえ憚られました。そんな状態でありながら、急に上体を起こしたかと思うと、私に向き直り深々と頭を下げてはっきりおっしゃったのでした。“ありがとうございました”と。それはいつも、最期のお別れの言葉。死期を察して、最期の力を振り絞って伝えて下さった気持ちでした。そんなことは言わないで‥と、声にさえ出来ず、ただただ涙が流れるのを止める事が出来ませんでした。

 その後は眠るように静かに過ごされました。53日午後5時過ぎ、休日だったのでご家族皆様に見守られながら、静かに息を引き取られました。

 死に様で生き様がわかるといいます。息子さんご夫婦や奥様の、献身的な介護の様子、彼の潔い死への旅立ちは、彼の素晴らしい人生を映し出しているかのようでした。嵐のように過ぎた今年のゴールデンウィークは、これからもずっと心に残ると思います。御冥福をお祈り致します。

 

私達こそ、素晴らしい人生を少しでもお手伝いさせていただいて、ありがとうございました。

 

 

                    〜 看 護 婦 手 記 〜

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                     ● 頑張り 

                     ● 訪問看護 

 

 

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