ダリア

 

まさしく、良家の奥様という感じの彼女は、ご自分の病状が進行していく事実がどうしても受け入れられないでいました。肺癌の骨転移でした。あちこちに病巣が散らばり手がつけられない状態でした。

初回訪問の時は、「痛い所はあるんですよ、でも病気ですから仕方ありません」ときっぱり言ってのけ、「ベッドサイドまで起こし頂く必要はありません、私が部屋まで出て行きます」と、客間の和室まで自力歩行で出て来て下さいました。確かに市民病院に通っているのに、今まで診て貰っていた医者とは違う医者が家に来て、何にもしていただくことなどありませんよと言わんばかりのお顔でした。

訪問開始して1週間程経った頃、苦しくなって夜間救急で市民病院を受診され、そのまま入院になったと連絡が入りました。以前から持っていた頻脈発作でした。検査結果から貧血が進行しているので輸血を施行します、状態が落ち着き次第、在宅診療再開して下さいと、市民病院の主治医から連絡を受けました。

それから2週間ほどして退院していらっしゃった時には、立てなくなっていらっしゃいました。何とか自力でベッドサイドのポータブルトイレへの移乗する姿を見せて下さったのが最後になりました。日毎に下肢の脱力が進み、全く動かせなくなっていきました。わずかな救いは、それに痛みがないことでした。

“栄養をしっかり摂って体力をつけて、筋力が戻るようにリハビリを頑張っていきしょう”と、私達が前向きな姿勢を見せる事だけが、精一杯の励ましでした。少しの体動でも呼吸困難が出るようになり、じっと汗をかきながら天井をじっと見つめて、静かにベッドに横たわっている時間が長くなっていきました。

時々、自分の中に不安が湧き起こる度に、彼女はお嫁さんに言いました。「先生を呼んで。」彼女は人に甘えたり、弱みを見せる事が苦手でした。クリニックから車で30分もかかる遠方でしたが、呼ばれる度に訪問しました。訪問してただお顔を見せるだけで、安心して下さるのが目に見えてわかりました。ある時は、到着するなり私の手を取り、じっと握って目をつむり、黙っていらっしゃいました。私もじっとそこに居て、額の汗を拭うだけでした。

ある日、私を眠らせて下さいと仰いました。会っておきたい人々を呼んで、最期のご挨拶は全て済まされたとの事でした。御家族も、眠らせてやってください、あまりに意識がはっきりしていて、見ているほうも辛いと仰いました。点滴の中に鎮静剤を追加し、少しずつ意識を落として眠らせていきました。こうしても余命を短くすることはありませんが、寿命の尽きるまで寝ているだけなのです。しかし、彼女は最期まで毅然としていたかったのでしょう。きちんと上を向いて、静かに静かに休まれたまま、そっと息を引き取られました。

心より御冥福をお祈り致します。


                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                            ●精一杯

                            ●受け継がれるもの

 


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