受け継がれるもの

70歳、女性。肺癌にて化学療法施行後、脊髄転移、骨転移を発症され、根治的治療は困難との診断にて、当クリニックにご紹介頂きました。

 既に退院され自宅療養をなさっており、「元気なのだから、今まで通り外来に通院しても良いのに…。」と御家族にお話しされていたと伺いました。しかし、疼痛のコントロールは出来て居らず、骨転移に因る骨折もありました。そのため、痛みを取ってくれるなら、と渋々私どもの訪問を了承されたようでした。

 しかし、在宅診療開始から間もなく、頻脈発作を起こされ、しばらく入院されていました。

入院中の彼女を私どもが案じている時、お嫁さんから、「退院が決まりました。義母が帰って来るまでにご相談したいことがあるので、来て頂けませんか?」と私のもとへ電話が入りました。私は、今回の緊急入院で、ご自宅での介護の不安を感じ、在宅療養を諦めてしまわれるのではないかと心配しました。でも実際は、彼女自身が「自宅での診療を望んでいる」「退院してリハビリを行い、再び歩けることに希望を持っている」という事と、お嫁さんの「自宅療養での介護は、初めてでどのようにしたらよいか分からない。でも、義母の気持ちを一番に考えて家で最期まで看たい。」というものでした。私は、在宅を諦めたのではないその気持ちに、感謝したい思いでお話を聞きました。その後、具体的に何が不安で、何が分からないのかをお聞きし、対策として、ヘルパーや訪問リハビリ等の導入を提案し、退院されてからも症状の変化や様態に合わせその都度、対応させて頂くことを話しました。「安心しました。頑張ります。」とやっとお嫁さんのお顔に笑顔が浮かびました。こんな時、私は人と人とが対峙する、この訪問看護師という仕事を選んでよかったと感じるのです。

また、「義母は、家の中の事は上手に仕切り、全て母が決めていました。」「入院中も義父に病気の姿を見られるのが嫌で、心配させまいと見舞いにも来させませんでした。」と気丈な彼女の一面をお話し下さいました。

 入院を機に彼女は、歩くことが出来なくなりました。脊髄転移による神経破壊の為でした。実際、歩けなくなっただけではなく、目に見えて衰弱していかれました。そのめまぐるしい様態の変化に、お嫁さんは気丈に耐え一生懸命に介護なさいました。「今まで全て義母任せで、義母が病気になってどうして良いか分かりません。」と少しうろたえておられた頃からは、想像も出来ない頑張りでした。

 いよいよ呼吸苦も現れ、お別れの時が近づいた時彼女は、「眠りたい」と望まれました。点滴による鎮静の準備が整い「今から点滴を始めます。眠くなりますからね。」と声を掛けると、「看護婦さん、座らせて下さい。」と仰いました。支え座って頂くと、お嫁さんを側に呼び「今まで本当に有難う。後は、お願いしますね。」と話しかけられました。その後、順番に夫、息子さんらを呼んで、お別れの言葉を口にされました。とても苦しいであろうに、居ずまいを正し、私どもやヘルパーさんにも感謝の言葉を下さいました。ご自分の人生にご自分の手で幕を下ろされたのだと感じました。そして、泣きながらもお義母さんの言葉に頷きしっかりと手を握って居られたお嫁さんに、彼女の立場やお気持ちは受け継がれてゆくのだと思いました。

今でもその光景を思い出す度に、私は彼女のお世話をさせて頂けたこと、そして最期に立ち会えた事を、心より感謝します。本当に有難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

                              戻る