岸和田市|内科・ペインクリニック・リハビリテーション科・訪問診療・訪問看護・在宅ホスピス
「退院の途中に息を引き取る可能性もある。」そんな連絡を受けた。そうまでして、69歳の彼女が帰って来たい自宅。「どんな病態でも、管理させて頂きます、退院させてあげてください。」家で療養出来る時間が少しでもあればいいのに。それを願いながら、病院からの在宅診療の紹介を引き受けた。
事前にケアマネ等と打ち合わせ、介護用ベッドも、在宅酸素も設置した。介護タクシーを要請しての退院となった。無事、帰宅。在宅療養に突入。「やっぱり家はいいなぁ。」とうれしそう。酸素を流用していても酸素飽和度は92%と低い。やはり無理は出来ない。酸素はベッドから離れる時も絶えず使用するよう重ねて説明する。
家には車椅子に乗った半身不随の旦那様が居た。彼女は今まで、彼の世話をずっとしてきたと言う。「世話出来ん身体で帰ってきても、二人して困るだけや。」彼の言葉はきつかった。喧嘩ばかりしている二人だった。気丈な彼女は、朝から起きてよく動く。大好きな庭いじりをする。家事を一通り自分のペースでこなす。身体の負担を考えると、無茶な事だった。でも「コレしたくて帰ってきてん」と引かない。さらに会社の帳簿も、嫁にはまだ任せられず、自分でやっていた。長男に叱ってもらうが、使命に燃えているから彼女の心には届かない。息切れや夜間咳嗽、浮腫みに対して、細かく投薬調整する。病状は大きく悪化せずに小康状態。1ヶ月が過ぎた。
在宅診療が始まって1ヶ月が過ぎた。しんどいなりに自信も出てきて、お出かけもする。高島屋へ酸素持参でお買い物。結局買うのは家族の物ばかり。悲しい主婦の習性やなぁ。毎週土曜日は家族みんなそろって、9人で食事。23年間続いているって、すごい。家族を愛し家族に愛され、生きる時間が限られたとはいえ幸せな時間。来客も絶えない。体力を考えると制限すべきか。でも、この顔合わせが最期かもしれないと思うと、いろんな人に会っておきたい気持ちわかる。会ってお礼を言いたい気持ちわかる。それが出来る少しの猶予を与えてくださって、神様にありがとう。
2ヶ月を過ぎてくると、トイレ歩行して転倒したり、食事が十分摂れなくなったり、身体のあちこちガ痛いと訴えるようになった。その都度、対処していく。24時間バックアップって有り難い、と言ってくれる。
しんどさが取れない。身の置きどころがなくて横になったり、立ち上がったり。右半身に力が入らず、不安がる。少しの鎮静剤と医療用麻薬の入った点滴を続けた。夜中、訪問して手を握っていた。医師なのに、もうそれしか出来る事がない。家族が周りを囲んでいる。今日まで生きてくれてありがとう、口々に言う。私はその状況を見てほくそ笑む。彼女が望んだとおりになった。
死んだ後の事まで完璧に準備して、彼女は逝った。