菖蒲(しょうぶ)

 

 

一代で大きな会社を築いた彼は、一回り年下の自慢の美しい奥様を連れオーストラリアなど各国を旅行して悠々と老後を楽しまれていました。7年前、突然脳梗塞で倒れ、左半身が不自由な身体になりました。彼は不自由になった身体を不満に思い、リハビリも最初は受け入れる事が出来ずに過ごされたと聞きました。入院中から家に帰りたいと言い続ける夫を、1年半後、奥様は意を決して、家に連れて帰っていらっしゃいました。

そして4年半前、私は彼の主治医になりました。左半身の関節はかなり硬くなっており、立位で膝が伸びないためしっかり体重を支えきれない状態でした。“もう一度元気になって、奥様と旅行しましょうよ。今の時代なら車椅子でも十分出かけられますよ。”と、いろんな思い出話を聞かせて下さるたびに、そう話しました。体調や機嫌がいい時は、決まって「早く元気になって、オーストラリアにみーんなを連れて行ったろ」と口にされました。旅行に行くには、せめて車椅子に乗れないと無理やなぁと話すと、立って歩きたいが一心に、もう固まりかけてしまっていた関節を伸ばすリハビリテーションを根気よく続けられていました。

しかし、今年1月左下肺野を占拠する大きな肺腫瘍が見つかりました。連日点滴加療し、市民病院にも受診し、治療について相談されました。もっと詳しい検査や最新技術による治療についても説明を受け、さんざん悩んだ末に、ご家族はこのまま彼の大好きな家で大好きな妻のそばで、療養を続けることに決めました。

「私、誰かわかる?」と、今考えればとても失礼な質問を平気でしていました。それまでつむっていた目を開けて「に、しら、しぇんしぇ」とゆっくり、でも目を見てにっこり微笑みながら答えて下さいました。1日のうち半分以上眠って過ごされ、大柄だった身体も骨ばってきました。口に入れてもらったアイスクリームさえ、溶けた甘い汁を飲み込むことができず、吸引器で吸ってもらう状態になっていました。

毎日身体を清拭し、髭そり、散髪、いつものようにリハビリ。甲斐甲斐しくお世話をする奥様や看護師達を優しく見つめながら、満足げにベッドに横たわったまま、風薫る5月のある早朝、静かに息を引き取られました。いつもの幸せそうな紅潮した頬がいくらか青白いことが違っているだけで、まるで眠っているかのような穏やかなお顔でした。話しかければ目を開けて、今にも「西田先生やー」と笑ってくれそうでした。

本当に御苦労様でした。私はこの4年間の思い出をずっと忘れないでいようと思います。

                             

                                        〜 看 護 婦 手 記 〜

                                      ● 焦り

                                      ● 繋がり

 

                                          

                       戻る