遺された絵

開院からちょうど1ヶ月を迎えたころ、K氏の娘さんが、クリニックへお見えになりました。癌の末期である実父を家で看取りたいと、在宅診療の御依頼でした。点滴を毎日欠かせない病状であったため、早速その日から訪問の開始となりました。

K氏は訪問開始当初から、いきなり始まった在宅での医療にも何の抵抗をするでもなく、私たちを快く受け入れて下さいました。その頃は、他院を退院されたばかりのおぼつかない足取りではありましたが、まだ歩くことができました。その内、少しずつ体力の衰えと共に「早く死にたい」と口にするようになりました。考えてみると、その時既に闘病生活は約四年にも及んでおり、次々と襲い来る病魔に体力の限界、完治を希望する限界を感じていらっしゃったのでしょう。私たちのお散歩の誘いにも「こんな姿になって、人に会うのは嫌だ」と頑なに拒みました。長年の趣味である絵画を見せて頂いて、その素晴らしさに感動して、「お花見を兼ねて、スケッチに行ってみましょうよ」と提案しても、「いいものは書けそうにない」と断られました。その時の私は、私に出来ることは何も無い、全て無理強いになってしまうのではないかという気持ちで、訪問に伺う足取りを重く感じました。ただ明るく振舞い、きちんとお世話をすることだけが、私たちに出来た事のような気がします。K氏が亡くなられた今も、もっとしてあげられた事があったのではないかというのが正直な気持ちです。

在宅医療に携わるようになって、4ヶ月。在宅医療は、想像以上に患者さんとそのご家族に近い所でお世話させて頂けます。まだまだスタートしたばかりの私ですが、悩みながら、落ち込みながらも、前に進んでいこうと思っています。そう、 K氏に出来ることが見つからなくて悩む私に、「まだ、何もしていないのに!何か行動してから悩め!」と叱ってくれた先生と一緒に。「美味しいパンでも一緒に食べたらどう?」とアドバイスしてくれた同僚と一緒に。

最後になりましたが、いま私共のクリニックの廊下には、K氏のお元気な頃に描かれた絵が、飾られています。皆さんも来院された折には、是非ご覧下さい。

 

 

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