芍薬     (しゃくやく)

彼は、開院後初めての、末期癌と診断されてから御紹介いただいた患者様でした。それは、4年近くに及ぶ闘病の末の事でした。訪問初日、第1声、“早く死にたい”と。

 本当は気が短い人と家人はおっしゃいましたが、私たちには、大変協力的で紳士的でした。脳転移による脳圧亢進のために点滴を欠かせなかったので、毎日訪問させていただきました。点滴加療の副作用と思われる食欲増進のために、枕元にはお菓子が散在。真夜中にも、おなかがすいたと起き出しては食べておられました。しんどいとも、痛いとも、何の訴えもなく、ただただ時間の過ぎるのを待っておられました。

 そんな時、家に飾ってある絵が自筆のものだと知らされ、驚きました。その緻密に描かれた花びらは、彼がいかに絵を書く事が好きだったかを物語るものでした。外は桜の季節、花びらが舞い、きっと彼の創作意欲を刺激して、またスケッチブックに向かう姿が見れるのではないかと、外に連れ出すことを計画しました。でも、彼はその提案を頑なに拒否されました。冷静に考えれば、弱った自分の姿を他人に見られたくない、集中力がないからいいものが描けないというお気持ちはもっともな事でした。彼の心情も推し量れず、精神的なケアを形にしたいとあせった私たちの自己満足にすぎなかったのかもしれません。でも、生きる希望や喜びを、もう一度どこかで感じていただきたかった。私たちに与えられた時間は短すぎました。もう少し時間があれば、と悔やみました。

 あれこれ模索するうち、次第に飲み込みが下手になり、食事にむせるようになり、食事やお菓子の摂取量もだんだんと減っていきました。大好きなアイスクリームしか食べられなくなって、目をつむっている時間が長くなって、本当に、眠るように静かに永眠されました。

彼が私たちに遺してくれた絵の中で、一番印象的だったシャクヤクの絵。今は、当クリニックで静かに私たちを見守ってくれています。

 


                                  

                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                                                                                                                                                            

遺された絵

家族

 


 

戻る