百日紅(さるすべり)

その赤い花が夏の日差しの照りつける中で涼しげに揺れる様は、情熱的なお二人の愛にも似ていて、変に気恥ずかしく思ったものでした。

「この人、何にも悪い事してないのに、どうしてこんな目にあうのかしら。仕事を引退して、これからやっと2人で自由に楽しんで暮らしましょうねって約束したのに。」市民病院の主治医から夫の余命を聞かされて、すっかり動転されていました。まとを得ない話ぶりに、奥様の落胆ぶりがひしひしと伝わってきました。子供のいないお二人にとってお互いの存在はとても大きなものだったのでしょう。奥様の悔しさは、経過を語りながらハラハラと頬を伝って流れる涙がよく物語っていました。夫は70才、肺癌が脳へ転移し、既に末期状態でした。

その日から私たちの在宅診療が始まりました。脳圧が高いため毎日の点滴、全身清拭、手浴、足浴、排尿排便の介助等、お世話するほどに元気になられました。私達の冷やかしに二人して照れて笑い、奥様には威厳を持って偉そうに指示なさるのに、私達の言葉にはとても低姿勢で反応なさり、はにかんだ顔で微笑まれるのでした。初めはどんな事をどこまでやってくれるのだろうと半信半疑だった奥様も、少しずつ前向きな気持ちを取り戻していかれました。しかし彼は、少しずつ食べ物を受け付けなくなり、痩せていかれました。病状は厳しいながら、彼のちょっとした笑顔や、清拭後気持ち良くしてもらってから静かに休まれている姿を見て、死にゆく前のこんな穏やかな時間もそう悪くないなと、奥様は思われたようでした。

4ヶ月、そうして月日が流れ、826日。あの雷雨の夜、珍しく街中が停電し、真っ暗な道を車を飛ばして駆けつけました。もう3日間も、やっと呼びかけに応えるか応えないかの状態で経過していました。雷様にでも連れて行ってもらわないとどうしても踏ん切りがつかなくて、発つことが出来ないでいるかのようでした。奥様を残していくのが残念でならない…まるでそう叫んでいるような派手な旅立ちでした。

そして奥様は仰いました。「愛してるって最期まで耳元で言ってたのよ。夫もがんばったけど、私もがんばったわよー。がんばれたのは先生達のおかげね。ホント、こんな幸せな人は他にいないわー」と。

つい、“お父さん“と呼びかけて、いつも名前で呼び直していました。左片頬だけで、苦笑いしている顔が今も目に浮かびます。本当に御苦労様でした。心より御冥福をお祈り致します。


                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                            ●夫婦

                   

 


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