作業服
71歳男性。肺癌に対して、放射線や抗癌剤の治療も受けましたが、発病より約9ヶ月経過の後、癌の末期状態と診断され、当クリニックに御紹介頂きました。
退院後初めてお会いしたとき、「退院おめでとうございます。お家に帰れて良かったですね。」と声をかけた私に、「うれしくない、病院の方が良かった、病院の方が安心や。」とあまり目も合わさずに仰いました。正直なところ「やっぱり家が一番や!」という答えを期待していた私には、返す言葉がありませんでした。「何か変わった事があれば、連絡下さい。すぐに駆けつけます。」とやっとの笑顔で答えるのが精一杯でした。
実際、肺癌に加え肺気腫、肺炎を併発しており、酸素を使用中ながらも呼吸困難が既にある、脳転移による吐き気などもあるという状況を考えれば、本人の不安はいかばかりであったかと思います。それを汲み取れなかった私の言動は、やはり軽率であったのかもしれません。
退院後も点滴が必要な状態であった為、毎日の訪問でした。「しんどい」「痛い」「食べられへん」などと言葉少なく訴えられることはありましたが、あまり病状を訴えない方でした。徐々に意識レベルが低下していき、いよいよ意思の疎通を図ることが難しくなっていきました。
全身状態も悪化し、先生はご家族に残された時間が僅かである事をお話されました。そんな折、お嫁さんと二人でお話をする機会があり「最後にお義父さんに何を着せてあげればよいのでしょう?」と聞かれ、「ご家族の方が、一番お義父さんらしいと思われる服を選ばれたらどうでしょうか。」と提案させて頂きました。
その2日後、訪問開始より17日目の朝、彼は静かに旅立たれました。ご家族の用意されていた「旅立ちの衣装」は、作業服。一般に「つなぎ」と呼ばれるものでした。私たちは、「個性的やね。」と、顔を見合わせたのを覚えています。後日ご霊前にお参りさせて頂いた時、息子さんは「親父は、こ のつなぎを着て毎日毎日一生懸命仕事をしていました。どこに行くのもつなぎで、一番親父らしいと思って選びました。」と教えて下さいました。そして、「病院は嫌や、早く家に帰りたいと言って、退院したときは、本当に喜んでいたんですよ。本当に家に連れて帰ってよかったと思っています。」とお話して下さいました。
いつも未熟で反省の多い私です。至らない点もいっぱいあったと思います。でも精一杯お世話させていただいて、「家に連れて帰って良かった」とご家族の方の声を聞く時、とてもうれしく感じます。でも天国に旅立たれた彼の口から、やっぱり聞きたかったな。
「私たちは、少しはお役に立てたでしょうか?」