こでまり

働き者だったという彼は、とても無口でした。苦しい、痛いとは、訊かれるまで口にはしない、そういう気丈で我慢強い人でした。男性で80歳と言えば歳に不足はない、肺癌とはもう2年以上も闘ってきたのだからと、“覚悟”は出来ていらっしゃったのかもしれません。

少しの 間でも家で看てあげたいという家人の思いから、整えられた家の病室。4人の娘さんたちが交替で泊って看病されていました。退院されてきた時は、まだご自分でトイレに立つ事が出来ました。やせた身体でも颯爽と動かして下さり、お世話しながら看護師たちが投げかける冗談に一言二言で返す律儀さや安心した時に見せてくれる満面の笑みが、私たちは大好きでした。逆に私たちが勇気付けられるほどでした。

その日、娘さん達は忙しい合間を縫って、4人みんながお父さんの顔を見にいらっしゃったそうです。今思えば、それは虫の知らせだったのかもしれません。その日は訪問診察の日で、少し鎮静剤を使い始めていたものの呼びかけに笑顔で応えて下さり、静かで良い時間だなと思ったのでした。

夕方、「息苦しそうにしているので診に来て欲しい」と家人からコールがあった時も、以前から何回かそういうコールがあって、急いで駆けつけると意外と元気だったということがあったので、今回もそう慌てていませんでした。伺って顔を覗くと、いつもの安堵したような表情の彼がいました。なのにその日は、あっという間に彼の呼吸が止まりました。まるで私を待ってくれていたかのようでした。旅立ちは突然に思えました。でもそれはあまりにタイミング良く、彼が巧妙にたくらんだ最期の演出だったように思えました。

食べられない時、好きなスイカの季節でよかったですね。家人に代わる代わるスイカを、ジュースにしたり細かく刻んだりして、口に運んでもらっていた姿が印象的でした。見事な美しい旅立ちでしたね。80年のもの長い人生、本当に御苦労様でした。心より御冥福をお祈り致します。


                                〜 看 護 婦 手 記 〜

       ●静かに・・・穏やかに・・・

       ●静かな笑顔

 


 

                    戻る