静かな笑顔

ご自宅にクリニックのスタッフと共に訪れると、初めてお会いする彼は2階のベッドに物静かに横になっておられました。細い小さな眼で天井をしっかりと見つめておられ、私達看護師とは特に言葉を交わす様子もありませんでした。ただ奥様や娘様との会話をじっと聞いておられ、入院中から食事が十分に摂れていないとのことでしばらく毎日点滴を行うことになり、ご本人も頷かれ納得されたようでした。

毎日の点滴はありましたが、状態が少し落ち着き、退院して来てからの彼の一番の願いは、「お風呂に入りたい」でした。希望を叶えてあげたく、いつがよいかを考えながらも、毎日の状態の変化に戸惑いを感じていました。2週間が過ぎた頃、全身状態も機嫌も良い日があり、入浴するなら今日!と思い、先生に許可を頂きました。そのことを伝えると、頷きと伴に、今までに見たことのない笑顔を浮かべられ、「入りたい」とはっきりと言われました。娘さんにもお手伝い頂きましたが、生憎シャワー浴で終了してしまいました。でも、「ありがとう、うれしかった。」と仰いました。「今度はお風呂につかりましょうね。」「ほんまやな。」と笑顔で会話したのを覚えています。

辛さ、苦しみを表に出さず、どんな問いかけにも頷きだけの彼。自宅に帰ったものの日常生活への不安、少し耳の遠い妻への負担の心配、毎日代わる代わるに付いてくれる娘達への気遣い。言葉に出して伝えられなくても、十分に手振りや笑顔で教えてくれました。名前を呼ぶとニコッと笑顔で応えられ、毎日お会いできることが私の一つの楽しみになっていました。言葉少なく、何かをさせて頂く時に気に入らなければ手を横に振り、嬉しい時は静かに何度も頷き、笑顔で答えてくれた彼。最期まで、痛い、辛いなど泣き言は少しも言わずに・・・

私たち看護師が訪問すると、気を遣って必ず娘さんを呼びに行ってくれた奥様。たくさんのご家族に囲まれ毎日笑いの絶えない羨ましいご家族でした。未熟な私に最後までお世話させて頂けたことを、彼とご家族に心から感謝致します。本当にありがとうございました。

 

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