マーガレット

癌が、比較的若い身体を蝕む時は勢いがあります。だから初めて訪問した時に元気でも、予想外に早く転機は訪れます。57歳の大黒柱が倒れ、たちまち収入も激減、医療費の3割負担が大きく圧し掛かってきます。代わりに働いてくれている奥様にそう無理も言えません。でも、昼間ひとりになった彼は心細くて、外に一人で出かける気力も体力も無いし、趣味に集中できるわけでもなく、ただ不安と戦って過ごすのでした。周りの人にも上手く甘えられないまま、訪問開始して1ヵ月半後、急激に悪化してから3日で死を迎えました。家族が傍につきっきりで手厚く介護できたのは、苦しさのあまり鎮静をかけられて眠っていたその3日間だけでした。

元気な時から、看護師たちは訪問時に一緒におやつを食べたり、買い物や散歩に連れ出したりして、その寂しさを紛らわすよう心がけました。時には人生観を語らったり、身体の保清をしたりして、時間はどんどん流れました。でも、どんなに長く居ても、帰る時にはいつもひとりになる彼を思うと、後ろ髪引かれるのでした。不安げな姿を見かねて、家族に居てもらうように話そうか、それとも入院を手配しましょうかと訊ねました。でも「病院に入るのはどうしても嫌だ」と言うのです。黙って病院のベッドに横たわって死を待つくらいなら、寂しくても家に居たいと。「もっと悪くなったら、アイツに休んでもらわなあかんのやから、ギリギリまで頑張るわぁ。」 「そうやな、奥さんだって慣れない勤務と慣れない介護に頑張ってくれてるんやから、お父さんも頑張ろっか。」身体がしんどくて、じっとしている彼。せめて気を紛らわしてくれる話し相手でも居たら…。そうやって貴重な時間は過ぎていきました。  

もし残された時間がはっきりと判っていたならば、彼女達だって無理にでも休んで傍に居たかっただろうにと思うのです。彼には、人生の締めくくりにふさわしいゆったりとした時間の中で、20年あまり苦労を分かち合った奥様や、手塩にかけた子 供たちとの最期の時間を、過ごさせてあげたかったのです。しかし介護休暇の制限やその間の手当の事を考えると、そう簡単に休めないのが現実なのです。

彼には、家族にしてやりたい事や、言っておきたい事が、もっともっとあっただろうにと思うと、やり切れなくなります。病状が悪化してからも時間があったなら悔やまなかったのかもしれない。でも、苦しむ時間が長くなっただけかもしれない。皮肉なものです。

ごめんね、最期にはもっとかっこよく、家族にありがとうを言う予定だったのにね…。それさえ上手くいかなかった。ごめんね…。

心から御冥福をお祈り致します。


                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                        ●大黒柱

                           


 

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