マンドリン
弦楽器の「マンドリン」を初めて見た。なだらかな曲線のボディ、前面にべっ甲や貝の装飾、楽器と言うより美術品のような感じがした。こわごわと手にとって見せていただいた。思ったよりずっしりと重い感触・・・「丸い部分に波のようなでこぼこがあるでしょうそこで音が反響するんでしょうね。発明した昔の人は偉いね」彼は瞳をキラキラさせながら、しかし、息苦しい呼吸を押し殺すように絶え絶えと話してくださる。そして、奥様に「まだたくさんあるのを見せてあげて」と仰った。奥の部屋に通された私たちは驚いた。マンドリン、ギターなどの楽器のケースがたくさん目に飛び込んできた。音楽や楽器が好きだとは聞いていたが、コレクションも半端じゃない。「主人の道楽でね。言っても聞いてくれないから。私には価値がわからないんですよ。」と奥様が微笑んだ。楽器は音を出すだけなら装飾はいらない。しかし彼は美しいものが好きだとあって、特注で作ってもらったそうだ。私は少し興奮して彼のベッドの傍に行き、「すごいコレクションですね。マンドリン見たの初めてなんです。装飾が美しいですね。」と言った。彼はうれしそうにいろいろ話してくださった。ひとしきり話した後、彼はポツリと「ホームコンサートが夢だった・・」とつぶやいた。今の状態では呼吸が苦しく、まず5分も座っていられない。痛みや呼吸苦のせいで左側臥位にしかなれない。常に痰がわいてきて、出すにも体力を消耗している。ホームコンサートは所詮無理な状態である。ご自分でも、今はかなえられない事だと感じておられるのだと思った。
彼には、今何が必要だろうか、私は何ができるだろう。尊厳を最期まで尊重し、彼らしい人生の終末を送っていただけるよう援助することが大切。彼の好む環境をできるだけ取り入れよう。そしておしゃれな彼のために身体の清潔を保つよう援助を行い、本来の欲求をできるだけ補っていこう。私たちは、週間保清スケジュールを意見を聞きながら計画した。体力の消耗を少なくし、苦痛なく行えるように工夫した。
それでも、彼の部屋からCDラジカセが見えなくなった日があった。訊ねると、「今は、しんどくて音楽が聞けない・・」との事。しかし聞かないだけなら別の部屋に持っていかなくてもいいのでは・・見たくない理由があったのでしょう。言葉も少なく気分が落ち込んでいる様子だった。しかしあえて「小さい音でも好きな音楽を聞いて。気分のきりかえにもなるから・・」とお話した。次の訪問時にはCDラジカセがいつもの場所に戻っていた。
彼は、ベッド上での清拭、洗髪、手浴、足浴等、在宅でのこれらの援助に対して、初めは不安げな表情を見せておられたが、私達の手際に驚き、喜んでさせてくださるようになった。しかし徐々にそれらの援助にも体力が耐えられなくなってきた。旅立ちの日、傍らに居られたのは奥様だけだった。急変の知らせで私たちが到着した時、身体はまだ温かく、呼びかけると目を開けてくれそうだった。
思い起こせば、訪問看護が始まってしばらくは、私たちに遠慮してばかりで、思っている事を話してくださらなかった。しかし楽器のコレクションを見せてくださったその日から私たちと彼との距離がグンと近くなって、彼の望むものがうっすらと見えるようになった。コミュニケーションや援助を通してスキンシップを行う事によって、更に心を開いてくれたのではないかと思う。彼や彼のご家族との出会いがあり、彼の人生の最期にかかわりをもつことができた事を、私は誇りに思う。私にとって、マンドリンの思い出と共に、ずっと色褪せることはないだろう。