呼称

私たちは訪問患者様を、「お父さん」「お母さん」と呼ぶことが多くあります。

彼も私たちの「お父さん」でした。

大きな肺癌に冒された身体は、例年よりひどく暑かった今年の夏を乗り切りましたが、秋の気配を感じる頃、徐々に終焉に向かいました。気の弱いところがあり、私たちが訪問すると黒目がちな大きな目を潤ませてベットに横になっていることが度々でした。少しずつ衰えていく身体の変化は、彼をとても心細く不安にさせた事と思います。そんなお父さんを支えていたのは、明るく、そして 気丈な奥様「お母さん」でした。細かな所まで気を配り、お父さんの様態変化にも狼狽えず、適切にお父さんの看病をなさっていました。それは、お父さんが「喀血」をしたときもそうでした。喀血の可能性がある事は、病状からある程度予想され、先生からも説明を受けていました。とはいえ、全く慌てる様子もなく、連絡を受け駆けつけた私に、「もっとたくさん血を吐いた時のために、布も用意しています。他にどんなことに気を付ければいい?」と仰いました。一般の方がこのような状況下で冷静に判断、行動出来るのは希ではないでしょうか?ともすれば感傷的になり、お父さんからもらい泣きをしてしまう私のような看護師を、逆に支えてくれたのでした。

亡くなる3日前まで食べていらっしゃいました。「食べられるうちは大丈夫や」と、最期まで「食べる」ことに生きる希望をつなげていたお父さんでした。少しずつ摂取量が少なくなり、呼吸困難が強く現れ始め、確実にお別れの時が近づいて来たことが見て取れるようになりました。

今夜が越せるかというその夜、クリニックで待機していた私の枕元に、いつの間に来られたのか先生が立っていました。先生も同じ気持ちで居られたようです。二人とも眠れないまま夜を明かしました。いつでもお父さんの元に駆けつけられるように。

急を知らせる連絡のないまま明け方訪問すると、混濁した意識の中で私の呼びかけに頷いてくれました。それが、お父さんとのお別れになりました。他の患者様に急変がありその場を辞した私は、結局お父さんの最期の一瞬には立ち合えなかったのです。後日、お母さんは仰いました。「家で看取ることが出来たのは、先生や看護婦さんがいてくれたからよ。最期に間に合わなかった事は、悔やまないで欲しい。みんなの先生、看護婦さんなのだから」と。このお母さんの言葉は、これからもたくさんの「お父さん」「お母さん」と出会い、そしてお別れを繰り返すことであろう私にとって、とても嬉しく、大きな支えになるものでした。

お父さん、お母さん、お世話させて頂き本当にありがとうございました。私自身、もっと強く、患者様の大きな支えになれるようこれからも頑張りたいと思います。

 

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