朝顔(アサガオ)

 

癌が大きな血管まで巻き込んでしまった時、その塊がまだ小さくても切除が出来ないのです。血痰で見つかった彼の肺癌は、手術で切り取られる事なく、彼の肺の中で少しずつ大きくなりました。糖尿病という持病がありながら、自分の体をきちんと管理していた彼は、最期まで癌と共存していました。散歩が大好き、というより、散歩する事で身体の調子を毎日チェックする事が日課でした。だから散歩に行けない日は、散歩に行けない自分を責めているかのようでした。

4ヶ月の在宅の闘病生活の間には、何度か、生命を脅かすエピソードがありました。全身で冷や汗をかいてショックで血圧が下がるくらいの仙痛発作が彼を襲った時も、40度近い熱が悪寒と伴に一気に出た時も、彼はが足元に忍び寄ってきている事を知っていました。死を恐れない人はいませんが、死を恐れる姿を私達が目のあたりにするのは珍しい事です。元気に動けている時から、彼は笑顔ではぐらかしながらも、病状を度々質問なさいました。彼が投げる悲観的な質問は、明らかに、否定してもらうためものでした。でも、否定する事は現実から逃げる事。逃げないで一緒に戦っていたいと望む私は、決して否定しませんでした。きっと治るからと、嘘を言ってしまえば彼を裏切るような気がしました。「今を乗り切ろう」「大丈夫だよ」と励ますしかありませんでした。でも彼は、そういう会話の後には、必ず目尻にうっすらと涙をうかべるのでした。その横顔を、私はずっと忘れられないと思います。

もう限界だよ、もう眠らせてくれと、彼が私達に告げた時、してあげられる最後のお手伝いとして眠っていただくしかありませんでした。最期の2日間、呼吸さえ苦しそうにしながらも、呼びかけると微かに頷いて下さり、生き抜く姿を私達に見せ付けるかのようでした。私は最期の瞬間に立ち合えなかったのですが、きれいに最期の身支度をなさった安らかなお顔を拝見した時、゛御苦労様でした、よく頑張られましたね゛と、心から彼を称える気持ちで一杯になりました。


                                  

                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                                                                                                                                                            

呼称 

初めてのセレモニー



 


 

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