一人暮らし

 

タロウ、ケンという2匹の老犬と、夜に泊まりに帰ってくるだけの謎の女性との暮らし。彼は72才で、肺がんの末期で、視力がほとんど無い方でした。初めての訪問時には壁を伝いながら歩けていましたが、歩いているのを見たのはそれが最初で最後でした。酸素吸入が無ければ呼吸が苦しく、体力の消耗も激しいため、ベッド上で寝たきりの状態になったのです。

「犬が心配やから入院はせん!」と断固入院を拒否し、在宅療養を選ばれた方です。そんなに犬を大切にしているのかと思えば、吠えると怒鳴る、竹刀を持って威嚇する、たたく、まさに動物虐待・・・Mさんに「もういいから、やめて!」とお願いすることも度々。

室内で2匹飼っていて、散歩にも行けない状態のため、部屋の中やベランダなどいたるところに糞尿があふれ、私達看護師は、まずそれらを始末することから始めなければなりません。想像がつくかと思いますが、それらの臭い、動物の匂い・・・・吐き気を飲み込みながらの作業でした。スリッパとマスクは欠かせません。ケアマネ、ヘルパーと連携をとり、訪問が始まってしばらくすると、少しずつ、それらはマシになっていきました。

それが本来の姿なのか、しんどさがそうさせているのか、彼自身は決してきれいとは言えず、垢まみれ、ひげ伸び放題・・・。トイレまで行けないのでオムツの使用を承諾してもらったのですが、汚れたオムツはまきちらす、布団の中で平気で放尿、排便し、糞尿まみれなんてことも数えきれず。「こんな人、在宅療養なんて無理!せめて家族の方でもいれば・・・」と誰もがそう思いながらも、ケアマネ始め彼を取り巻く人々は、家に居たいという彼の思いを尊重して、彼を助けていました。

汚す、きれいにする、汚す、きれいにする、の繰り返し。工夫も重ねながらも、根比べです。とりあえず、布団を整え、服を替え、全身清拭、髭剃り、をほぼ毎日。それだけではなく、二匹の老犬の世話。主人のために私達が、来ているなんて理解してくれず、まるで不審者を威嚇するように吠えまくり、なかなか室内にも入れてくれません。ドッグフードを器に入れたり、飲み水を交換しているのも私達なのに・・・。「吠えんといて〜」と半泣きでお願いしてみたり・・・。「大人しくなるから」とMさんに言われるがまま、竹刀を持ったのが原因か???大人しくなるどころか、牙をむき出して向かってくる始末。二度と竹刀なんか持つものか!と思いました。悲しいかな、結局最後の最後まで仲良くなれませんでした。

不可解なことがひとつ、Mさんと同居している女性。仕事ではないらしいが朝出かけ、夜になると帰ってくる。私達は昼間訪問のため姿を見たことがありませんでした。犬の一匹ケンのほうは彼女の犬だそうです。一度、夜間に彼の状態が悪化し、彼女が連絡してくれたことがありました。その時初めてお会いし、医師が現在の病状を彼女に説明すると、納得して看病をしてくれることになりました。彼女は少しはりきっているように見えましたが、2.3日もすると「夜中に何度も起こされて寝られへん」と怒って、「もうつかれました…」と置手紙を残して、再び日中はいなくなりました。彼に聞くと、夜には時々帰ってきていたらしいけど。

彼はスナックパンと一口おにぎりが大好きで、特にスナックパンは、むさぼり食うという表現がぴったりな食べ方でした。「おいしい?」と聞くと「うまい!すきなんや〜」と言いながら、頬張る、頬張る!!!。徐々に状態が悪化し、持続点滴や酸素吸入の増量が行われた時も、ぎりぎりまでパンを食べ続けていました。意識レベルが落ちてきてからは、さすがに食べなくなっていきましたが。

生前、彼は色んな事を話してくれました。本当の家族のこと、タロウのこと、昔していた仕事のこと、同居人の彼女のこと。彼には市役所の方、近所の方、民生委員の方、ケアマネ、ヘルパー、医師、看護師・・いろんな人がかかわっていました。彼は、周りの人を見て、どう感じていたのでしょうか。「明日は何時にきてくれるんや〜」「ありがとーなぁ」と言ってくれた彼。1人で団地の部屋で寝ている孤独。今から思えば、あの言葉は人を待っていた言葉のように思います。これだけの人間が彼にかかわっていても、常に傍にいた老犬だけが唯一、彼の孤独を癒してくれる存在だったのではないかと思います。最期の時、いつもにも増して、タロウが吠えながら私達に向かってきた気がします。ご主人を何かから守りたいかのように・・・。

心より、ご冥福をお祈り致します。

 

 

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