えぞ菊

何時になく混んだ外来に新患が何人もいて、その中の中年の痩せた男性が突然、「私、胃癌なんです、それも手遅れの…。」と仰いました。よく訊くと、2ヶ月も前から胃の調子が悪かったのに、ストレスが貯まっているから自分ではすっかり胃潰瘍と信じていたらしく、彼は病院には行かなかったそうです。いよいよ痩せてきて、食べにくくなって、CTの検査を受けた頃には、胃癌がCTだけでもそれとわかるほど大きくなっており、既に切除不可能と宣告されたのでした。

その宣告からさらに1ヶ月位経っていました。現代医学のそれ以上の検査や治療は一切拒否して、どんな病気でも治るという水や漢方薬を取り寄せて飲んだり、民間療法を受けたりしていましたが、身体はどんどん衰弱していきました。現代医学に頼るつもりはないらしく、病院には行かないつもりでいたとのことですが、食べられなければ体力の低下が著しく、このままでは餓死してしまうと思い、人に聞いて当クリニックに駆け込んできたとのことでした。

「本当に食べられなくなってきました。」冷静に、彼は言いました。今の自分には点滴とか栄養補助剤が必要だから、そこの部分だけ現代医療で助けて欲しい、最期まで家に居させて欲しい、家で看取って欲しい、歩ける間は外来に来ますが来 れなくなったらすぐ往診して下さいと。彼のビジョンも覚悟も、かなりはっきりしていました。あまりにはっきりしていて、専門家の私達があっけに取られるほどでした。

それから、彼と私達の23脚の手探りの対症療法が始まりました。死に向かう彼に、いったいどこまでの医療行為をなすべきなのか…。処置内容、点滴内容、処方した薬の一つ一つを本人に説明し、一緒に過不足を考えていきました。看護師達も、今この人にしてあげられる何かを探していました。少しでも体調のいい日はアイスクリームを食べに連れ出したりしました。彼は仕事柄、訪問車のステッカーを作ってくれると言い出しました。着実に痩せていく身体をさすりながら、死んだらどうなるのかなんて話し込んだりしました。週に1回の私の訪問診察の時には、「先生、まだ僕が生きてるんかと思って、確かめに見にきたんやろ」と、笑っていたずらっぽく言いました。また、子供達が特に娘さんがどんなにかわいいかを、目を細めて話してくれました。

訪問開始から約2ヶ月後、これ以上痩せられないというほど痩せこけて、彼は静かな眠りにつきました。眠っているようなその横顔の、精一杯生き抜いたという誇りの影に、どうにもやり切れない切なさや悲しさが滲んでいました。“立派に”生き抜くということは、この上ない哀しいことなのかもしれません。

心より御冥福をお祈り致します。


                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                       ●がめは餅

 


 

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