蓮の花

その頃、当クリニックの訪問患者数が多くなってきて、今のスタッフでは十分に手が回らなくなりつつある状態だと、看護師から報告を受けていました。

わざわざ当クリニックをご指名され、訪問診療の申し込みに来られた旦那様は、ウィットに富んだ会話をなさり、楽しい方でした。“女性どおしの方が細かく分かって下さるのではないかと思って…”と、ご依頼された理由を説明して下さいました。我々の選択の余地はなく、在宅診療が開始されました。

彼女は乳癌でした。右乳房切除術を受けましたが、その時既にリンパ節転移がありました。1年後に肺転移が出現し、抗癌剤治療が開始されました。その間もなく、脳梗塞で倒れられました。一命をとりとめ、右半身麻痺となりましたが、リハビリに励み、片言の言葉が出始めていたのです。ところが再び、症状なく違う部位の脳梗塞を起されました。傷害された部分が大きかったらしく、脳の浮腫に対して連日の点滴が行われましたが、言語障害、歩行障害となり、ほぼ寝たきりになってしまいました。旦那様は、「忙しさにかまけて奥様に苦労をかけどおしだったから、今はその罪滅ぼしに精一杯の事をしてあげたい」と、全身全霊をかけて奥様の介護をなさっていました。お付き合いの広かった奥様を訪ねて多くの方がお見舞いにいらっしゃって、つくづく奥様のお人柄に感謝したとおっしゃっていました。

私達が始めて訪問させていただいた時、私達を認識できないほど脳の機能は低下していました。あーあーと言葉を発し、その内容を理解できるのは旦那様だけでした。目はうつろで遠くを見つめていました。症状が少しでも改善するならと、脳浮腫を取る点滴を施行しましたが、改善がみられないまま何日か経過し、現状のままみていく事としました。そんな時、再び脳梗塞発作が彼女を襲いました。すぐに連日の点滴治療を再開しました。しかし、言葉を発する機会もますます少なくなり、反応が鈍くなっていかれました。

2.3日して、緊急を知らせる電話が息子さんから入りました。舌が気道に落ち込んで呼吸困難に陥っているから、今、舌を持っていると。救急隊員である息子さんは、とっさの判断で気道確保を試みたようでした。駆けつけると、気道を確保しても呼吸をしない状態になっていました。これ以上無理な姿勢を強いて、痛い思いをさせる必要はどこにもないと、息子さんに告げるしかありませんでした。会話ひとつすることなく、死を看取る事になったのは初めてでした。言いようのない虚しさと悲しみがこみあげました。

後日、旦那様に「死因は脳梗塞と書きました」と告げた時、何故か、ありがとうと仰いました。事実だから大意のない報告だったので、驚きました。死因に乳癌と書いて欲しくなかったからと仰いました。実際、彼女は乳癌患者の会に入り、患者どうしで励ましあう中心者だったそうです。彼女の死を悲しむ彼らに、乳癌で死んだのではないよと言ってあげたかったからと仰っていました。訃報を聞きつけて、集まってくる人の多い事!生前の彼女の人柄が偲ばれました。天国からも、きっと皆を包み込むように見守っていらっしゃるのでしょうね。心より御冥福をお祈り致します。

 


                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

 

                ●存在感        

                     

 


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