チューリップ
老夫婦が肩寄せ合うようにして暮らすのは、たった二間の小さなお家。介護ベッドが入ると、部屋の中を広く占領し、訪問入浴の浴槽さえ入れられるかどうか検討が必要なくらいでした。それでも病院に入ると、その閉塞感からか自分が判らなくなってしまう程、介護への抵抗症状が出ました。そして、大好きな家に帰ってくるなり、いつもの彼に戻れるのですから不思議です。
肺癌の末期、既に酸素を3L/分で流用中にもかかわらず、身体を動かすたび肩で息をして、いかにも呼吸困難がありました。訪問時、第1声は、冗談めいた目をくるくるさせながら、「苦しいよー、先生が助けてくれるんかい?」でした。
苦しいはずなのに、訪問するとよくおしゃべりになり、あれもしたいこれもしたいと仰いました。一回でも外にお連れ出来るように頑張ろうと、ケアマネさんや看護師達といろいろ計画を立てました。でもいざ出かける段になると、「やっぱり無理やー、しんどくなりそうやから止めとく。」と、尻込みする彼。ちょうどその日は天気も良く、絶好のお花見日和だったので、説得して花見へ連れ出しました。ケアマネも看護師も付いて行き大騒動でした。それが最初で最後の外出となり、「勇気を出して出かけて良かった」と仰りながら、鎮静をかけざるを得ない呼吸状態となっていきました。
介護者は年老いた奥様一人。「もう家では看れない…」といつ言い出してもおかしくない、辛い時間でした。でも結局最期まで自分が看るのだと、気丈にやり遂げられました。ご主人は大好きな家でそっと息を引き取る瞬間まで、「自分らしく」幸せだったと思います。
何事もなかったかのように、家の前では色鮮やかに咲くチューリップの花が、揺れていました。順番に淘汰されていく人間の儚さを、黙って見つめていました。心から御冥福をお祈り致します。