釣鐘草

 

訪問診療を開始する時は、患家の場所を覚え、スタッフの紹介をしなければ、みんな初対面で戸惑うので、いつも常勤の訪問看護師3人と一緒に伺います。息子さんが訪問診療の申し込みに来られ、初回訪問となりましたが、旦那様はご存じなかったようでした。訪問するなり、「そんなにたくさんの人に来て貰っても、まだ元気なのに必要ない!」と、まるで往診の押し売りとでも思われたようで、かなり興奮していらっしゃいました。奥様は胸膜悪性中皮腫という、肺の回りに発生する珍しい癌に侵されていました。余命3ヶ月と告げられた割には比較的元気そうに見えました。ベッドの上に正座して座り、酸素を吸入されていましたが、息が荒い事もなく、食事も出来ているとのことでした。

今現在、特に状態が悪くなくてもあっという間に病状が変化していくのが末期癌の怖いところです。患者様やご家族に在宅療養に慣れていただき、そうした様態の急変に備えるためにも、在宅診療の早めの導入が望ましいのです。しかし、旦那様のそのあまりに頑なな拒否の態度に、しばらく私達が必要な時が来るまでは訪問の回数も少なくし、少し距離をおいていこうと考えました。

ところが2回目、3回目と、彼女の病状は急展開を見せました。低酸素から脳症を起こし、強い不安、不穏状態に陥り、暴れ始めました。すぐ低酸素症の治療と鎮静が必要になりました。彼女が薬で眠ってしまった後も、ご家族はおろおろしました。苦しくて暴れる彼女はもう見たくない、でも、もうこのまま眠ったまま逝ってしまうのかと不安は募るばかり。

「急に低酸素が来たので身体がついていけなかっただけでしょう。急なことだったので眠らせる前にも何か言いたいことがあったかもしれない。薬の投与を減らして一度起してみましょう」と、私は根気よく何度も説明し、これからの方針を一緒に模索していきました。最終的に、「起きても、また苦しまないといけないのなら、もうこのまま静かに逝かせてやってください」と、息子さんは押し殺した声で涙ながらに仰いました。確かに、少し鎮静薬を少なくするともぞもぞと動き出し、でも会話が出来る状態ではなく苦悶表情を見せました。ご家族と話し合って、このまま眠っていただくこととしました。その間に多くの親戚知人の方がお別れにみえ、息を引き取られるまで人が絶えませんでした。

たった3日後、彼女は静かに永眠されました。多くの人に見守られた中でのお別れでした。私達は初めて、一度も会話を交わした事のない人の死を、お見送りする事になったのでした。もっと、彼女を知りたかったと思います。もっとして差し上げられる何かを探したかったと思います。静かに亡くなられた事だけが、お付き合いの短かった彼女にしてあげられた精一杯のことでした。

御苦労様でした。心から御冥福をお祈り致します。

 

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