シクラメン  

 

子供がいない彼は、認知症の妻と二人っきりの家族だった。

若い頃に罹った病気の後遺症で両下肢が不自由だったから、彼は人の手を借りながら生活してきた。家の中では這って移動する。その俊敏さには目を見張るほどだった。胃癌が見つかった時、思うように動けない院内の生活を拒んだ。仕事上のつき合いから身の回りの世話をしてくれるようになった弟子親子に甘えて、在宅診療という形を望んだ。彼が今までなしてきた生き方を反映していたのか、それは極めてスムーズに可能となった。

彼はいつも、人々に感謝していた。私達が訪問する度、手を合わせて深々と頭を下げお礼を言って下さる。そして、看護師がおむつ交換など、お下の処置をしていると「極楽、極楽。」と満足そうな顔で笑ってみせる。時には「気持ちいい!」と雄叫びをあげる。本当に単純な人だった。

また、彼はすごく我慢強かった。岩みたいに硬い癌は、腹腔内を占拠しながら確実に大きくなっていった。痛みもあるようだったが、私達にさえ泣き言を言わなかった。食欲だけはよく保たれ、3回の食事を何よりも楽しみにしていた。しんどうそうにしていても、ベッドサイドに用意された食事はなくなっていた。十分に食べられなくなるまで、看護師やヘルパーがスケジュール通りに入ってお世話する生活を淡々とこなしていた。本当に律儀な人だった。

87才と高齢だったから、少し認知症も混じってきていた。時に、認知症のある状態は幸せだ。本気なのか混沌としているのか、愉快なことを口走り、憎まれない。昔の仕事のスケジュールが頭に浮かんだら、「自分が行かないと…」と、乗れるはずのない自転車の傍でもがいているところを見つけられたこともあった。お風呂が大好きだったが、訪問入浴の準備が億劫らしく、入るまで愚図っているくせに、いざ入る段になると急に手放しで喜んでくれる。本当に無邪気な人だった。

陽気な気性が状態を良くするのか、痩せて癌まみれのお腹だけが目立つ身体になっても、なかなか命は脅かされなかった。約2年の在宅療養の末、ようやく老衰のような、自然な死が彼におとずれた。日常の中に埋もれてしまいそうな、何事もなかったような、本当に自然な死だった。

私もこんな自然の中の一コマでありたいと願う。心よりご冥福をお祈り致します。

                 

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