蝋梅

 

 

ベッド柵につかまって立ってみる。それが、75歳の彼女なりに考えた「もうあかん」か「まだいける」かの判断基準らしいのです。「今日も立てたわー。」訪問するなり、嬉しそうな笑顔。生まれたてのバンビのようにゆらゆら揺れる足で、それでも生きていることを確かめるかのように、立ってみせてくれるのでした。膵臓癌が全身に転移していて、食事も十分に摂れなくなってきたというのに。

失敗したら大変だからとおむつを巻いていても、ちゃんと尿器に排泄されていました。調子の良いときはつたい歩きでポータブルトイレへも移乗出来ていました。その気力は、遅くに授かった一人娘に見せておきたかった、彼女の生きる姿勢だったのかもしれません。

あと3ヶ月と病院で言われてから、在宅で約1年過ごしました。車椅子で買い物に連れて行ってもらったり、近くのカルチャースクールに顔を出したりして、精力的に過ごしました。車いすに乗ったまま庭でひなたぼっこしたり、娘さんと一緒にお料理したりして、家族団欒で過ごしました。冗談を言うのが好きな人だから、どんな会話にもウィットに富んだ言葉が隠れていました。じっと考えてから、一言、二言、周りの皆が思わず微笑ンでしまうのでした。寂しがり屋で、私がどんなに長く居ても、帰るときには必ず「もう帰るん?忙しいもんな。」と皮肉って言われたものでした。

いよいよベッド上で動けなくなって、娘さんが介護休暇を取ってずっと一緒に居れるようになってからは、親子が全く逆転してしまいました。彼女は、娘さんをお母さんと呼んで甘えました。介護休暇が切れたら仕事復帰せざるをえない娘さんは、在宅ケアをどうしようかと頭を悩ませていました。それを知ってか知らずか、彼女はまるで図ったかのようにギリギリに旅立っていきました。

立てなくなった自分を、「もうあかん。」と言いました。「死ぬんかぁ。」と他人事のように言いました。迫り来る死にさえ、肩すかしさせるような優雅さで、彼女は最期まで自分らしく生き抜きました。心よりご冥福をお祈り致します。

 

                                            戻る