クリスマスローズ

 まだ幼稚園にも行かない4歳の男の子のお母さんが大腸癌だと聞き、母親でもある私達は愕然とした。あどけない笑顔で年より更に若く見える彼女は、34歳の時に急に足に力が入らなくなり、胸椎への転移性骨腫瘍が見つかった。緊急で除圧術を受け何とか完全麻痺は免れたものの、大腸癌からの転移と判った。余命幾ばくもないと判断された。
 訪問診療が始まった。動かない体で排泄もままならない悔しさ、自分だけでは出来ない育児、夫の身の回りの簡単な家事もこなせないジレンマ。彼女自身についての排泄や保清や食事の準備などは、綿密に介護計画を立てることで補うことが出来た。しかし、様々な思いがある中で、彼女の人生について、とか、幼い子供を残していかなければならない無念さについて、とかは、どう対処したらいいのかわからなかった。まだ幼い子供の記憶に母親の生きる姿勢を残せるものだろうか…?と、自らに問い続け、何かできることはないのかと、勝手に焦ったり、迷ったりした。 結局、過酷な状況にあっても彼女は比較的おおらかだった。 「今のこの刹那に自分は生き、妻として母親として生きている。それ以上でもそれ以下でもなく、それでいいのだ」と。そう装っていたにしても、彼女のあまりに淡々とした毎日に、何とも言えない空しさを感じていた。お節介にも、クリスマス会やお誕生日会をしてビデオを撮ってみたりした。‘成人したあなたへ’なんてタイトルで息子さんへの手紙を書くのを勧めたりした。人事とは思えない私達は必死だったように思う。彼女はいつも苦笑しながら、それはそれできっと感謝してくれていたことだろう。
 余命3ヵ月という告知を裏切って、1年1ヶ月も生きて、息子さんは5歳になった。まもなく彼女が息を引き取った時、周囲のただならぬ空気にたじろぎ、母親にお別れのキスをするのを泣いて嫌がった。近寄らなかった。「ママ、えらかったね。」彼の心に脳裏に、彼女が生き生きと生き続けることを願う。

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