パンジー
また、耳が聞こえない患者さんが肺癌になりました。彼は目も不自由でした。まだ50歳。少年みたいに見えました。多くの障害を乗り越えて、家族の応援を貰いながら自分で働き、社会生活が始まった矢先でした。
前症例で聾唖の方とうまくコミュニケーションが取れなかった反省から、今回は初めから手話通訳の方に来ていただいて、訪問診察は始まりました。彼は、ましてや目が見えないので、手振りや表情でさえ私達の意志を伝えることが出来ませんでした。手話を掌など身体の一部に当てながら、会話するのです。彼も同じ方法で息が苦しくなると訴えます。今度こそ、痛みや苦しみをきちんと解って対処してあげたい。どんな時に、どんな風に、何回くらい、どのくらい長く…。状態把握の試行錯誤は続きました。
彼は診察の日には必ず朝からお風呂に入って身なりを整え、私達が不快な思いをしないようにと気を配ってくれました。訪問が始まってから、急変時にはどうしようという不安が消え、外来に出かけていく大変さもなくなって、全身状態は落ち着いてきました。「耳の不自由な方達の集いがあるそうだから、一緒に出かけてみましょう。」と誘うと、意外に積極的で、看護師と一緒に参加するのを楽しみにしていました。
その朝突然、お母さんの慌てた声で、呼吸が止まったみたいだと連絡が入りました。私は外来診察中、看護師は他患者様の訪問看護中。誰もが何かの間違いだと真面目に取り合わなかったほど、あまりに突然でした。看護師が着く前に、慌てた家人が救急車を呼び、病院での看取りになりました。しんどいと言って横になり、そのまま呼吸が止まるまで、全くいつもどおりの生活だったそうです。「長く苦しまなかったから良かった。」お母さんは目に涙をためて言いました。これからやっとホスピスケアが始まろうとしていた時でした。彼にしてあげたいと思っていたことがたくさん頭をよぎりました。また、何もしてあげられずに、お別れになってしまったことも…。
心よりご冥福をお祈り致します。