女郎花

 

 

「頑張る」は47歳の彼女の口癖。どんなに痛くてもしんどくても、私に笑顔を向けてくれる。スポーツが得意で真っ黒に日焼けして外を飛び回っていたという面影は、もうなかった。多発性骨髄腫は彼女の脊椎を侵し歪め、立てなくし、座れなくした。それどころか自分の頭蓋の重ささえ支えられず、ずっとうなだれた姿勢でベッドに横になっている。いつも気分が悪く、嘔吐はどんな薬でも止まらなかった。でも彼女は薬を飲んだ。大きな錠剤、サリドマイド。唯一の特効薬とされているが、健康保険が利かず、アメリカからの直接輸入。飲むとますます吐き気が襲うのに、彼女は毎晩欠かさず飲んだ。耐えきれず、夜中に吐くまで嘔気と闘った。少しでも病気に勝てるのなら…

彼女は親友の家で闘病生活を送っていた。実母が毎日泊まりに来ていた。看護師である親友は、彼女が衰弱していくのと並行してどんどん痩せていった。仕事はきちんと続けていたから、ほとんど不眠不休。「でも彼女の辛さを思えば…」自分の方が楽なのだと言った。仕事にでかける前には、彼女から帰りの時間を必ず確認された。「早く帰ってきてね。」「待ってるからね。」「夜勤の時は寂しくて嫌だ。」それが負担かもしれないと思う余裕は、彼女にはもはやなかったのだろう。

訪問診療が始まるまで、食べる量が少なかったせいもあり、ほとんど排便できなかった。訪問開始から体調が少しずつ整うにつれ、浣腸薬によく反応するようになった。お腹がすっきりしたら少しは食欲も出た。便が出たら、食べてくれる。そう思う事が毎日排便を期待させたから、浣腸も頻回になった。

ある日。突然腸重積が起こった。大量の血便と今までにない腹痛が新たに彼女を襲った。そしてそれが命取りになった。見ている方があまりにしんどそうで鎮静剤を薦めたが、彼女は「頑張る」と言った。血便が出ていて、もう状態の回復も望めそうもなくて、彼女に事実を告げることができなかった。

頑張るって何だろう。苦しみの果てに何があるのだろう。「もう頑張らないで…」親友の言葉に頷きながら、彼女はこの世を去った。書けないからと、声で残した毎日の日記。ありがとう、ありがとうを繰り返し、今日一日が何とか生きて過ごせたと報告する日記だった。お世話になりながら生きているのでごめんなさい、せめて「頑張る」ことが私のすべきこと。声は優しく震えながら、そう伝えていた。あまりに懸命で、健気で、泣きたくなるくらい立派だった。

今は、自由に動く健康な身体を取り戻して、笑顔いっぱい天国を駆けめぐっているかな。心からご冥福をお祈り致します。

 

                                                         戻る