野菊

病院からの紹介でした。もう抗癌治療は出来なくなってきているから、全身管理してやって欲しいとのことでした。娘さんは第一声、「母はすごくしんどいはずなのに、家の事をしようとするから見ていられなくて…」と仰いました。初回訪問でお会いしたのは、咳き込んで家事ができないと、居間の真ん中に座り込んでしょげている彼女でした。その手に掃除機があったのを今もよく覚えています。痰がらみの咳が激しく、酸素化がすごく悪くなっていました。長年教会で保育所をやっていて、やっと長女さんがその後を継いで活動してくれるようになった矢先のことでした。だから、自分が家事を出来なくなったらみんなが困る、娘に負担をかけたくないから、とその一心でした。

まず病気を治さないと、という気持ちが市民病院の抗癌剤の点滴へ向かわせました。しかし、実はそれが体力をどんどん消耗するだけの結果に終わっていると悟るまでには、咳き込んで咳き込んで眠れない、横になれないという状態で2週間くらい過ぎたように覚えています。このままでは治るどころが、周りのみんなの体力さえ続かない。苦しいし、この状態を何とかしなくては…。焦る気持ちがさらに事を悪化させていました。自分の頑張りだけではどうにもならないと判って、初めて私に助けを求めてきました。「信じてこの薬を飲んで」と、私も彼女に頼みました。病院への気持ちが吹っ切れたせいか、人に頼ることで肩の力が抜けたのか、はたまたこの漢方薬が本当に彼女の身体にとても必要なものだったのか、あんなに出ていた咳発作が、その日以来すっかりなりを潜めてしまいました。「最初から、先生の言う事を聞いといたら良かったわー」と、笑顔で話してくれました。それからしばらくの間は、すこしの家事が出来るくらい元気になりました。

彼女は基本的にすごく真面目で、とにかく頑張り屋さんでした。呼吸筋を鍛えるリハビリをしましょうと言うと、指示どおりしっかり励んでくれました。この薬を飲みましょうと言うと、全く欠かすことなく服用しました。その彼女のお世話を主にしてくれたのが、長女さんで、また彼女にそっくりでした。少しそそっかしくて、少し要領悪くて、なかなか点滴を抜くのも上手くいかなかったりして、でもどんな事でも自分が中心になってお世話しようと頑張っていて、そのひたむきさが憎めない方でした。初めは当てにもしていなかったお母さんが、最期のほうにはしっかり娘さんと2人、23脚で闘病される姿には、感動すら覚えました。

あんなにも一生懸命生きても、最期がくる。いや、最期があるから、あんなに頑張れたのかな。彼女の静かな死に顔を見ながら、きれいだなと思ったのは、人間のそのはかなさがあまりに憐れだったからかもしれません。もう、肩の力を抜いてゆっくり休んで下さいね。心から、御冥福をお祈り致します。

 

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