母娘

69歳女性の患者様でした。乳癌の切除術後、骨髄内転移による末期癌での在宅導入でした。

今までの病院での経過、検査データーなどから客観的にみると、余命幾ばくも残されていない状態であるのは、確かでした。しかし、そ れはあくまでも客観的なことであり、ご本人様はもちろん、看病なさる娘さんは、最後まで「闘病」を望み、「奇跡」を信じておられました。一見、神経質そうな言動も、そうした「闘病」の形なのだと、お世話させて頂くうちに感じました。

 1020日午前5時、様態の悪い在宅患者様が他にもおられたためクリニックで待機していた私の携帯電話に、娘さんから急変を知らせる連絡が入りました。駆けつけた時、血圧が下がり、呼びかけにも反応なさいません。このままお別れになるのでは、という思いが頭をよぎりました。処置していく内に、点滴や昇圧剤が効を奏し、一時的に意識が戻って来ました。娘さんは予想しない急変に、病院へ搬送する事を強く望まれました。「娘さんが病院へ運んでと仰っています。病院に行かれますか?」との呼びかけに、彼女は大きく、そしてハッキリと頷かれました。とても苦しいであろうに、その表情は、とても凛として居られたのを覚えています。

 でも、やはり彼女の生命の光は、病院到着と同時に燃え尽きてしまったのです。病院の救急外来に横たわる彼女に、娘さんはいつまでもいつまでも呼びかけておられました。お母様の死を受け入れられないその姿に、言いようのない寂しさを感じました。そして、自分の無力さを。

 せめて、私が救われたのは、少し冷静さを取り戻した娘さんが、“最後は家に帰ってから、身体を綺麗にしてあげたい”と仰って下さったことでした。とても穏やかなお顔で、私達に頼んで下さったことでした。

 遺影のお写真は、お元気だった頃に大好きなお帽子をかぶって微笑んでいらっしゃるものでした。後日ご霊前にお参りさせて頂いて、そのお写真を拝見した時、このお二人はどれ程の時間を病と向き合い、闘ってきたのかという思いに駆られました。私たちが、お世話させて頂いた時間は、ほんの僅かであった事を改めて感じました。それほど、私達が知っている彼女と、お写真のお顔は違っていたのです。最後の最後まで病と闘うという事、それはご自身の為に、それ以上に娘さんの為に?価値観、環境など、一人一人違うのだから、一人一人違う最期があるということは分かっていたはずなのですが、ご自宅で静かにお見送りをする事が最良の在宅ホスピスのように知らず知らずに思い込んでいた私にとっては、彼女の最期はあまりにもあからさまで正直でした。

まだまだ未熟な私を頼りにしてくださり、最後までお世話させて頂けたことをお二人に深く感謝致します。本当にありがとうございました。

 

 

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