梔子(くちなし)

“死ぬ”という人生最大の出来事を、住み慣れた家でと思うのはごく自然な事です。でもそんな死が近い状態で家に居て不安なのは、いざ痛みや苦しみが強くなったらどうしようと思うからでしょうか。彼は、もう少しもう少しと一生懸命我慢する人でした。膵臓癌の診断がついて、たった3週間で亡くなる直前まで。

まだ65歳。お腹が痛い、身体がしんどい、微熱が続くといった極めてありふれた症状が1ヶ月位続いていました。いつも診て貰っている医師に、もっと詳しい検査をしなければならないと告げられた時は、もう膵臓癌が命を脅かすまでに体の中に広がっていました。そして同時に、元々体に潜んでいた動脈硬化がもたらす下肢の動脈閉塞が急速に進行していきました。

娘さんたちが、こんな状態でも家で看ていけるのか、いやこんな状態だからこそ家で看たいと、当クリニックを訪ねていらした時、知人からの紹介だったせいもあって、何かしら現実味を帯びない話のように感じました。それに、初めて訪問した時の彼はとてもお元気な様子で、足もご自分で動かす事が出来ましたし、癌の痛みの方も薬で何とか落ち着いておられコントール出来ているかに見えました。

しかし、あっという間に病状は進展していきました。まず、足が動かなくなりました。それは大腿部の大きな血管が詰まってしまったのです。入院で安静を強いられている間に急速に進行したのでしょう。血流が足らなくなった下肢の組織からは、信号として発痛物質が大量に放出され、正座の後のしびれが切れた時のあの不快な痛みが、四六時中彼を苦しめました。足先から冷たく青紫色に変化していきました。痛み止めをいくら飲んでも注射をしても、そういう種類の痛みはなかなか取れないのです。麻薬も試みましたが、悪心嘔吐、眠気などの副作用が強く現れ、とても増量出来ませんでした。

もう足が動かないなら、いっそ神経を破壊してしまう方法しかありませんでした。しかしそれによって全身状態は悪化するかもしれないため、何度もご本人、ご家族と話し、了解を得なければなりませんでした。ほんの2.3日のことなのに、その間も彼の足の痛みは続き、とても時間が過ぎたように思いました。なんとか永久神経ブロックを施行し、痛みは軽くなったものの、次は癌が胃や腸に浸潤し、消化管からの出血が始まったのです。何かを口にするたびに、赤黒い吐物が口から流れ出ました。それでも、彼はなんもしんどくないよ゛と笑顔で答えられるのでした。

しんどくなっても、仰ることは最期までしっかりされていました。だから娘さんたちも、薬で眠らせてしまう事を拒みつづけました。もっと早くに眠らせてあげれば良かったのかもしれないと今なら思います。でもそれほど病状の進行は早く、私達もご家族も、現状が受け入れられず、彼の頑張りに賭けたかったのかもしれません。耐え切れず、“先生を呼んで‥”と娘さんに指示し、何度か呼ばれて臨時で訪問しました。じっと手を握り、仕方ないのは解っている、でも何とかしてくれ…と言わんばかりに力をこめていらっしゃいました。ごめんなさい。なかなか楽にしてあげられなかった。自分の力不足を痛感した私でした。

 お父さん、本当に御苦労様でした。貴方のその頑張り貫く姿を、子供さんたちはきっと心の支えにしていくと思います。素晴らしい人生を垣間見させていただいて、有難うございました。安らかにお眠りください。


                                  

                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                             ●転機        

                     

 


 

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