クレマチス

 

 5年前に大腸癌、そして昨年に肺癌を患った。前回は克服できたが、今回はそうはいかないようだった。小柄だがスマートな印象で、とても81歳には見えない。

彼は優しい目で奥様を見る。奥様は精神分裂病という病気で苦しんでいた。何事も一生懸命に考えてしまい、時に支離滅裂で、目が離せない。自分を勝手に責め、悩む。急に怒り出して、大声を出すと手がつけられなかった。そんな彼女の世話は、長年付き合ってきた自分にしか出来ないと信じている彼にとって、何よりの心残りは彼女を置いて逝くことだった。

 血痰が出ていた。痰の切れが悪く水分摂取を促すが、排尿回数が増えるのを嫌がり飲まない。薬は食事の後と決めていて、食事が出来ていないからと薬を飲まない。面倒くさがりで、朝の洗面や入浴などの保清を手伝おうとしても「じっとしているのが楽でいい」と、日常の動きを最小限にという徹底ぶりだ。「あんまり食べれてないから、血は採らんといてぇ。」と言ったりするから、実は似たもの夫婦なのかもしれない。

病状は安定していて、週に2.3回補液をした。点滴の後に少し身体が楽になると、自分のことより奥様のことを気にかけた。点滴があんまり長いと彼女の食事の時間が狂うとか、彼女の足の爪がそろそろ伸びてきた頃だとか…。痩せていく彼に、彼女は気付かないのに。

訪問診療を導入して約1ヶ月半後、朝、呼吸停止しているのをヘルパーさんが知らせてくれた。その前の日は、訪問診察の日で、いつもと変わらない生活ぶりだったのに。最期まで世話をして貰うこともなく、同じ部屋に寝ていながら自分だけの世界にいた彼女を、彼のことだから逆に気遣いながら、逝ったのだろうか…。

心より、ご冥福をお祈り致します。

 

「お父さん、心配しないでね。今、彼女のもとに、私達が訪問診療させてもらっています。週に1−2回は訪ねて、他愛もない話をして、彼女の世界を覗きに行ってます。純粋で、一生懸命で、彼女のそんなところが、スタッフみんな大好きです。」

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