桔梗
在宅で闘病するには、介護人の存在なくしては成立しない。「お祖母ちゃんが嫌われないようにして欲しいの…。」27歳の孫娘が言い放ったその一言は、あまりに状況を言い得ていた。軽い認知症が混ざった73歳。肺癌末期の病態では、昼夜を問わず付き合い切る覚悟が必要とされた。娘さんは最初、十分な事をしてやりたいと意気込んでいたけれど、気丈夫で凛々しかった母親が訳のわからないことを言い、何度言い聞かせても勝手に起きあがってくるのを制し続ける事に、さすがに疲れ始めていた。それは肉体的にも、精神的にも。「感謝の言葉ひとつない」、「私の事だってもう分からないみたい」、「どうして言うこと聞いてくれないの」等々。疲労は、憎悪の念さえ生み始めていた。
しかし、交代して助けてくれるヘルパー、友人、親戚の人達や、ほぼ毎日来る看護師達の協力を得て、もちろん孫娘も夜間当直に入って、娘さんは自分なりのペースを掴むようになってきた。夫の理解のある態度にも励まされた。ゆとりが出てくると、優しい思いが形になる。母親を完全に制しようとはせず、「ベッドからずり落ちちゃったから、下で一緒に寝てた!」とか「機嫌が良くて、腰掛けておにぎりを食べてくれた!」とか、家で闘病することを一緒に楽しんでいた。母親を好きに過ごさせてあげていた。幸せな親子の時間がそこにあった。それが限られたものであったからこそ、より輝いて見えたのかもしれない。
ほどなく起きあがる体力もなくなり、彼女はこの世を去った。穏やかなその表情には、感謝の気持ちがあふれていた。「お祖母ちゃんは嫌われませんでした…。」娘さんは最期までお祖母ちゃんを大切に、そして誇りにさえ思っていらっしゃった。良かった。私はただただ、心からご冥福をお祈りするばかり。