芥子の花

「今日は日曜日なのに、先生なんでここにおるん?医療業界もそこまでサービスせんと、やっていかれへんのか。」確かに、事業である以上ある程度の利益はあげていかないといけませんが…。「そんな為にだけ、この仕事しているんじゃないですよ。」とだけ言いました。

彼の右肺にある大きな癌は、肝臓にも転移しており、週に一度、抗癌剤治療を受ける為に大きな病院にも通院していました。彼はとても神経質な方で、処方する薬の一つ一つについて説明を希望され、「飲む飲まないは自分で決める」と仰いました。そして「這ってでも抗癌剤の治療は続ける」と。諦める事が恐い気持ちは痛いほど分かりますが、いたずらに身体を痛めてしまうだけのこともあるのです。

我慢できなくなるまで痛みを我慢し、その後、十分食事が摂れなくなり、痛みで塞ぎ込む事が多くなって、焦る彼を見かねて思い切って言いました。「私を信じて、薬は処方した通りに飲んでくれませんか?体力が戻るまで、通院は見合わせませんか?私も頑張るから。痛いって言わせへんようにきちんと調節していくから…。」と。彼は静かに涙を流しました。きっと、かなりしんどかったのでしょう。じっと私の眼を見て、短く、お願いしますとだけ仰いました。

痛みを取ることが、どれだけ活力につながるか、その効果は驚くほどです。事実、彼は再びしっかりと食事が取れるようになっていきました。今日は気分が良かったから、こんな事もした、あんな事もできたと毎日報告してくれました。「毎日必ず、夕方でも夜でもいいから診に来てなー」と仰いました。「もっともっと元気になって、通院してた病院の先生に会いに行って、びっくりさせたろうな」と、それが二人の合い言葉でした。排泄は必ず自分の足でおトイレまで行かれました。お食事はきちんと座位をとって、お箸で摂られました。おやつに、食後に、美味しそうに熱いコーヒーをそろりそろりと啜り飲む、彼の姿が目に浮かびます。

ある日、トイレへの歩行中に、がくっと膝を折って倒れました。家人は不在で、しばらく倒れていたようでした。ゆっくり肺機能が低下してきており、低酸素状態による呼吸困難や昏迷が少し出てきていました。思考回路がはっきりしているだけに、自分の身体や頭の回転の不自由さは、どんなにやりきれなかったかと思います。今後の方針を彼に尋ねました。彼は、もう眠らせて下さいとご自分から仰いました。息子さんの帰りを待って、持続点滴の中に鎮静剤を入れました。

呼び起せば、時々頷くくらいの鎮静状態のまま、あと10日あまりを彼は生き抜きました。甲斐甲斐しくお世話する奥様と娘さんとの静かな対話の時間でした。

誰にもいつかは必ず訪れる死は、恐れているからいつまでも恐ろしいものなのでしょうか。それを静かに受け入れられる力を得て生き抜いた瞬間、残された者に何らかの感動が残されるのではと思います。私達はいつも患者様の命を助けられない。でもその人生の最期の瞬間、一緒に感動していたいと思うのです。これからもずっと、体力が続く限り…

 

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