十月桜
岸和田が祭りでにぎわう頃、彼は市民病院から紹介されてきました。原発不明癌。肺や腹、骨や頭の中に癌組織は存在するものの、どこから発生してきたものか判らないというやっかいな癌です。入退院を繰り返しながら、抗癌剤治療を始めて9ヵ月も経っていましたが、癌は大きくなる一方で、もはや食道が狭くなって食べ物が通らない状態になっていました。毎日の点滴が欠かせませんでした。 「家に帰してやりたい。」昼間は子供さん達の誰もが勤めに出てしまっていなくなると判っていながら、それを叶えてあげようとしたのは、きっとこのかけ声を聞かせたかった、この雰囲気を味わわせたかったからなのでしょう。夕方になると、いつも近くで祭りの走る練習をする青年達の勇ましいかけ声が聞こえてきました。毎年この時期には、家でじっとしていられないほど祭りキチだったという彼。痰が絡んで息苦しくて、幻覚が見えて訳のわからないことを口走りながらも、家で寝ていると聞こえてくる、そのかけ声を聞きながら、祭りに思いを巡らせていたのかもしれません。
たった8日しかお世話出来なかったけれど、旅立ったその日は満76歳の誕生日で、子供さん達みんなが仕事から帰ってから、そろってお祝いしてくれたのでした。「決して短くない闘病でした。十分に立派に生きました。」と、子供さん達は胸を張って仰いました。
最期に祭りのはっぴを着せている時、窓の外を走りゆく青年達の声が部屋の中にも響きわたりました。彼が今にも起きあがり、走り出すような錯覚に陥り、ふっと彼の腕を取ると、こころなしかにんまりと笑ったように見えたのでした。
心よりご冥福をお祈り致します。