沈丁花

 

いかにも良家の奥様といったいでたちの彼女が、腰が痛いと当クリニックを訪れたのは若葉薫る6月でした。偶然、祖父の俳画の先生をされていた方でした。圧迫骨折を伴った骨粗鬆症の腰痛だから「仕方がない」と病院の医師に言われたことがとても悔しかったらしく、どうせ治らないんでしょうと憮然とした態度で仰いました。「時間は少しかかりますが、痛みは取れてきますよ」と説明すると、少し明るい顔をなさり、微笑まれたのを覚えています。

しかしなかなか良い方向への展開はなく、彼女は衰弱していきました。94歳という歳のせいでしょうか、食事が取れなくなっていきました。何らかの原因があるのかもしれないと、病院へ検査入院していただいたところ肺癌が見つかりました。

高齢のため、切除術にも耐えられないであろうし、抗癌剤を投与して積極的にどんどん治療するというのも、ただ身体を痛めつけるだけでした。結局、何も治療は受けずに退院されてきたものの、今後どうするかでずいぶん親族で揉めたようでした。家で思うように療養させてあげたいという長男さん。介護なんてどうしていいか解らないと戸惑うお嫁さん。病院の方が安心だろうという次男さん。いろんな人のいろんな思いの中で、当クリニックからの訪問診療は始まりました。

彼女のために「してあげられる全てのことをしてあげたい。」という気持ちがみんなにあれば、何もかもがうまくいくものなのだと思いました。お嫁さんも段々とどうしていけばいいのか把握して下さるようになり、的確に身の回りのことをお手伝いなさっていました。次男さんも、腰が痛いと顔をしかめている彼女に寄り添いながら、初めこそ不安な表情でしたが病院以上に看護師やヘルパーが入れ替わり立ち替わりする中で、家でゆったり過ごす療養に満足していくようでした。彼女は気難しい方でしたが、看護師に慣れるに従い身の回りの何でもを任せて下さるようになりました。多くの人が関わる中で、毎日静かに療養生活は流れていきました。95歳の誕生日を迎えてすぐ、寒い冬の早朝に眠るように彼女は逝きました。

ほとんど危篤状態となった時、お嫁さんが、「お母さんの句に先生登場してたわー。」と、日記を見せてくださいました。外来通院中に詠んだ句が端に走り書きされていました。

“診察の主治医の両手温かし”

きっと、便秘がちで硬くなったお腹を触診しながら、ゆっくりマッサージしていた時のことだと思い当たりました。いつも気持ち悪いと言われるほど温かい私の手も、たまには印象に残ったりするんですね。これが本当の“手当”と言うのかな…。私は、血行の悪くなった冷たい彼女の手を淋しく思い出していました。

心よりご冥福をお祈り致します。

 

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