ヒヤシンス

 彼は、初対面から不機嫌でした。医療不信でもあるのでしょうか。肺癌を指摘されてから、そこの通院を止めてしまったらしく、約1年が過ぎていました。癌は確実に進行していて、腰と背中の痛みがどうしようもなくなって、うちの外来に飛び込んで来たようでした。74歳、一見もっと高齢に見えたのは、痛みが人格までも脅かしていたせいでしょうか。

薬の嫌いな人で、きっと痛みから解放してくれるはずの痛み止めでさえ、規則正しく飲めない人でした。結局、坐薬を時間通り挿入していく事で、やっと痛みをコントロール出来て、時折笑顔を見せてくれるまでになりました。それでも偏屈なところはいっぱいあって、甲斐甲斐しく世話をやく奥様にも、訪問看護師にも言いたい放題でした。お風呂は嫌い、着替えは面倒。便が出ていなくても浣腸は嫌、でも苦しいから出しに来い。食べれてなくても点滴は嫌、でも「しんどいから、」「息苦しいから何とかしろ」と。在宅酸素のカヌラを付けたり外したりしながら、難しい表情でベッドの上に座っていました。

ある朝、「スッキリするから」お気に入りだったサイダーを飲みながら朝食を摂り、その後眠るように息を引き取られました。あっけない最期でした。

リクエストが多くて忙しくて、あっという間に過ぎた気がしましたが、約3ヶ月家で過ごせました。指示を十分に聞いてくれなかったから、治療にだいぶん苦慮しました。でも、リクエストが色々多かったのは「言えば何とかしてくれる」と、実は甘えてくれてたせいかもしれないと、今なら思えるのです。

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