彼女の闘病生活は4年と長く、脳転移が発覚してから約1年飲んでいるステロイドの副作用で、満月様顔貌といわれる下膨れの顔をしていた。56歳。ボランティア活動にも盛んに参加してきた彼女にとって、肺癌自体と闘って肺を切り取られた時よりも、脳に転移した腫瘍によって彼女が彼女でなくなってしまう瞬間があるこの頃の方が、辛い時間だっただろうと思う。記憶がふっと飛んで、誰と話しているかもよくわからなくなるのに、夫の冗談にはつっこみを入れられるという状態。笑っているかと思ったら泣いていて、彼女の中に支離滅裂な彼女がいて、絶えず入れ替わる。
家は快適に過ごせるように、緑にあふれ、光がよく入り、風が通るように工夫されていた。九官鳥が彼女のまねをして電話に出る声が響き、大きな番犬が静かに寝そべっていて、まるで避暑地を思わせるような空間。今にもエプロンをつけた彼女がコロコロと笑いながら出てきて、美味しい紅茶でもいれてくれそうな…そんな日だまりの中で、彼女はできるだけ座った姿勢を保とうと介護ベッドのコントローラーと悪戦苦闘していた。
在宅療養中、それはよく転倒した。急に意識がなくなってドタンと倒れるのだから、傷は大きい事が多かった。ある時なんかは、右膝から大腿部にかけて3ヵ所が裂け傷になっり、持って行った糸針が全部なくなるまで、20針あまり縫った。そしてよく浮腫んだ。元のスリムな足は見る影もなく、足首はなくなった。すぐに弾性ストッキングもはけなくなり、擦れば滲出液が浮いてくるのでマッサージもできなくなった。
最期の日。訪問看護を受けている最中に、看護師がケアマネと話していたすぐ後ろで、彼女の呼吸は止まった。「世話なくていいでしょ」と、彼女が私に自慢げに言ってるような気がした。せめて、寂しくなくてよかったかな。
心からご冥福をお祈り致します。
花水木