「近頃、めしがなぁ、つまるんや…。」彼がそう言った時、私は軽い気持ちで消化管内視鏡検査の予約をした。それまでも、79歳の彼には高血圧症、糖尿病や肺気腫といわゆる慢性疾患がたくさんあって、脳梗塞を何回かしていたが麻痺は残っておらず、心筋梗塞にも何度もなりかけたけれど狭心症でとどまっていた。あちこち入院しては元気になって、いつのまにか当クリニックの外来に舞い戻ってきていた。照れ屋さんで、つるっとしたやわらかい表情でいつも笑っている。そんな印象だった。検査の結果、喉の奥に癌が出来ていることが判った。

切除するとしたら、顔の骨まで削る大手術しか治療法がないことが判明した。不十分に切ると出血が止まらないことが予想された。彼らに子供はおらず、2歳年上の奥様と二人きりの生活だった。彼女と何度も話し合った。病気を告げた時の彼の落胆は十分に予想できた。「“あかんたれ”やから、もう生きる気力なくすわ…。」と彼女は言う。どうやって、どこまで病状を知らせるべきものか、悩んだ。耳鼻科や脳外科、外科のいろんな先生の外来に受診してもらい、相談した。でも結果は同じだった。

結局、癌には触らないことにした。彼には何も説明しないことにした。出来るだけ長く、快適に療養することを目標に在宅診療を開始した。「入院したくない。」それだけが彼の希望だったから。入院しなくても、家で出来ることは精一杯していこうと考えていた。


朝食の定番はお粥とお味噌汁と時々、卵焼き。お昼は二人の大好物の温めたミルク。ちょっとお砂糖入れて甘くする。夕食はお野菜いっぱいの煮込み料理。喉に障らないように、軟らかくて栄養のあるものを二人は心がけて食べる。近所の人が、自分で作ったお野菜を分けてくれるが、足らずは朝市に行って買ってくる。「材料はちょっとしか要らんからねぇ。」

10ヶ月経った頃から、首の周りのリンパ節が腫れ、熱を持って疼くようになった。疼きに耐えられずいらいらすると、つい奥様に八つ当たりする。でも、色白な顔をまっ赤にして、頭をかきかきすぐに反省する。「おかあちゃん、ごめん。」翌朝は必ず早めに起きて、コーヒーを煎れて、仲直り。2歳年上の女房にはかなわない。

1年が過ぎると、喉の奥の癌はどんどん大きくなった。食べ物が浸みて痛い。食べ物が当たって出血する。口を閉じていると、息をするのも邪魔なくらいだった。それでも負けずに好きなものを口にする。さすがに煮付けは痛い。酢の物も断念した。でも、食欲はあった。食が進まない時はすぐに点滴した。元気が出たら食べてくれたから。そうして、更に半年が過ぎていった。

81歳の誕生日を迎えた。翌朝から高熱が下がらなくなった。「もうアカンみたいや。」と潤んだ目で私を見て言った。すぐ意識が混濁していった。名前を呼ぶと、わかってるよと言わんばかりに何度も頷いてみせた。話せないくらいにしんどかったんだろうに。“あかんたれ”だったはずの彼は、凄くかっこよく、潔く、この世を去っていった。
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ハナキリン