葉牡丹
機嫌が悪いとすぐにひっかく、噛みつく。5年前に脳梗塞を患い、身体の半分が不自由になった彼は、言語障害も伴っていたので自分の言いたいことが人にうまく伝わりませんでした。イライラしたら、すぐに唸りだし、動く方の手で攻撃してくるのでした。ヘルパーさんや訪問入浴、訪問リハビリ、訪問歯科のたくさんの人に関わってもらって生活が成り立っていましたが、彼自身は極めて当たり前みたいな顔をして、奥様は周りに気を遣ってばかりいて、これまでの二人の人生を物語っていました。彼は、定年退職してから鍼灸師の資格を取るような積極的な人でした。自宅の傍らで開業し、結構人気のある鍼灸師だったと聞きました。頑張る姿をずっと支えてきた奥様は、彼が脳梗塞を起こしてしまって介護が大変になってからも、「入院なんてかわいそうや、お父ちゃんが稼いだお金は介護に全部使うんや。」と、家で看ると言い張りました。彼女もある意味頑固で、献身的で、ちょっと天然ボケで失敗することも少なからずある、一途な人でした。おまけに心臓病もあって、両膝関節が悪く、思うように身体が動かない日もありました。それでも大きな夫の身体を起こして健気に介護する姿は、ほほえましくもあり、痛々しくもありました。
尿潜血が続いたある日、悪性細胞がみつかりました。尿管癌でした。精査のために大きな病院を受診したものの、侵襲的な治療には家族はみんな消極的でした。結局、83歳の彼の生活は、医師や看護師の訪問回数が少し増えただけで、何ら変わりませんでした。下腹部が不快なのか、不機嫌な日が多くなりました。それでも食欲は衰えず、半年ほどした時、脳梗塞後遺症から誤嚥性肺炎を起こし帰らぬ人となりました。
約8年間、訪問したお宅でした。今も仕事中に家の前を通ります。その度に、彼の、私に叱られて苦笑いした顔が脳裏をよぎるのです。
心より、ご冥福をお祈り致します。