4人の男の子を育て、自分で興した事業も成功させたという。家を4つも持っていて、それは人が決めることではないにしろ、申し分のない人生だったろうと思う。
81歳になる彼女は、4年前に大腸癌、3年前に盲腸癌を切除していた。根治は難しく、まもなく後腹膜と腎臓と骨に転移したが、外来通院しながら療養を続けていた。肺炎を起こしたり、骨折したり、その間にも色々あったようだが、何とか切り抜けたのは次男さんのお母さんを想う大きな愛があったからで、彼女はお陰でいつもニコニコして家に居られた。そして、半年ほど前から少しずつ認知機能の低下が見られ、日常生活に何かと手が要るようになっていた。昼夜逆転し、夜中に何回も目を覚ましてトイレに通った。お嫁さんに嫉妬して喚き、次男さんの介護にさえ抵抗したりした。
同居している次男さんはそんなお母さんに文句の一つも言わずに付き合っていた。彼は「母のことを尊敬しています。こんな病気になって可哀想です。」と人目も憚らずに泣いた。彼女をうらやましく思うくらいだった。私の息子も、こんなに私を愛してくれるだろうか…。
最初、彼は友人の薦めで当クリニックに相談に来た。「訪問看護ではお母さんの病状の急変に備えて対処する」と説明したが、彼は、衣食住については自分で何とか出来るという自負があったらしく、“病気が治せないんじゃあ、僕が世話するのと変わらない”と断ってきたのだった。しかしほどなくして、呼吸困難、腰痛、夜間せん妄に因る徘徊、転倒、挫傷などが起こり、その度に病院に連れて行き、心身共に疲れ果ててしまった。少しの医療の助けがあれば楽に過ごせるのに。困惑している彼に私は言った。「いろんな事、騙されたと思って任せてみてよ」と。
彼は、それからも、私たちと一緒によく頑張った。在宅医がこまめに診ることの大切さを判ってくれたようだった。余裕が出て、仕事と介護を両立させることが出来てきた。また優しい気持ちで、お母さんをお世話することが出来たと言う。命の長さは寿命に任せて、“最期までを如何により良く生きるか”の意味を、一緒に考えながらの半年間だった。デイサービスをうまく利用させてもらいながら、家では息子さんにさんざん甘えて、彼女は最期まで毅然として、笑顔のまま永い眠りについた。
心よりご冥福をお祈り致します。