頑固親父

 

84歳男性、肺癌にて余命12ヶ月との診断で、彼が当クリニックに紹介され訪問診療導入となったのは、例年より暑い日が多かった、平成148月のことでした。

初回訪問時は、体の向きも変えずただ真っ直ぐに前を見て質問に答えて下さり、緊張し恥ずかしがっていらっしゃるといった感じでした。しかし、訪問を重ねていくうちに、少しずつ打ち解けて下さり、コタツに奥様と3人で座り、お茶を飲みながら世間話、昔話などをするのが常となりました。「今の世の中は、良くなりました。戦争を体験した私たちには本当に幸せな世の中になったものだと思います。世の中も良くなって、医療も良くなって長生きが出来る、それだけでも儲けものです。」というのが彼の口癖でした。そして、「このままだと85歳の誕生日が迎えられそうです。」と嬉しそうにお話されていました。

彼の場合、病状は比較的緩やかに下っていくといった感じで、時々発熱などを繰り返しながらも、小康を保って経過していきました。症状に応じて点滴や注射などの処置を施しますが、回復の兆しが見えると「点滴は、もういいと思います、随分元気になってきましたから。」と必ずご本人の口から出ました。そんな時決まって奥様は、「すみません、勝手なことばかりを言います。我が儘でしょう。でも頑固な人で、こうと決めたら絶対自分の気持ちを通すんです。」と恐縮されていました。二人きりの時に奥様が話して下さる彼の数々のエピソードを聞いていると、彼の意思の強さが印象付けられるものばかりでした。それも夫婦として長い年月過ごしてきたからこそ話せる、頑固親父ぶりといったところでしょうか?

余命1.2ヶ月との予想を大きく覆し、7ヶ月という月日を在宅で過ごされました。卒業式シーズン、お孫さんの短大卒業を目前にして、ご家族みんなに見守られ、静かに息を引き取られました。最期まで自分の意志をしっかりと持ち、希望を捨てずに闘病された姿を私は忘れることはないと思います。そして、御家族の方には、至らなかった点も多数あったでしょうに、私達の看護を快く受け入れて下さった事に心から感謝致します。

ただ、少し残念に思うのは、私達にももっともっと我が儘を言って欲しかったという事と、楽しみにしておられた85歳のお誕生日を5日後にして永遠のお別れをしてしまった事です。心残りでなりません。大好きな盆栽の話になると目を輝かせておられた彼に、皐の咲く頃、自慢の盆栽を拝見しに、また会いに行こうと思っています。

本当にお疲れ様でした。

心よりご冥福をお祈り致します。

 

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