デンファレ

 私よりひとつ年上の彼女は、看護師だった。大腸癌と闘って2年半。こんな時、医療関係者は辛い。自分の知りたくない病状まで、主治医以上にわかってしまう。既にいろんな治療を受けてきたから、身体は傷だらけだった。

 当クリニックに紹介され家での療養を決めた時から、彼女の中では、“如何に安寧に死を迎えるか”が問題だった。まだ4歳の娘さんは、彼女の傍でずっと過ごしている。また、仕事をしながら、心配そうな顔で寄り添う母親も、ずっと彼女の傍にいた。家での療養はそれを可能にし、彼女の残り少ない時間をせめて一緒に過ごせた。でも、彼らに苦しむ姿を見せたくなかった。腹水で膨らんだおなか、身体を動かすたびに疼くように響いてくる痛み、笑顔で隠しながらの療養だった。

 投薬や点滴で少し病状が落ち着いた頃、大好きでいつも行っていた銭湯の話が出た。最期にもう一度だけ行きたいと、許可を懇願する表情を向けられた時、一緒に行く約束をしてしまった。女ばっかり、看護師たちも巻き込んで、知人がやっている、融通が利くスーパー銭湯に行った。車椅子で脱衣場まで入り、あとは裸のお付き合い。なんだか夢中で、恥ずかしいも何もなかった。みんなが笑顔で楽しかった。彼女も、いつもなら受け付けない食事を全部平らげた。

もう一つ、年に1回は行っていたディズニーランド。看護師に付き合ってもらえるならと、思い切って旅行を許可した。娘さんと母親と、親子3代の初めての大旅行!無事に帰ってきてくれることを祈りながら、送り出した朝を覚えている。彼女は、亡くなる日までその楽しかった旅行のことばかり話してた。想い出達が、娘さんの、年老いた母親の、これからの生きる力になることを祈っている。

看護師だった大腸癌の彼女が一番心にかけていたこと、それは母親のこと。働き者で、気のいいところは、親子でそっくりだった。2年半の闘病に根気強く付き合ってくれ、最期は家に居たいという願いを受け入れてくれた。もちろん、父親にも、旦那様にも、たくさん感謝しているが、苦労ばかりかけてそして先に逝ってしまう娘に対する母親の、やりきれない心痛を思うと、申し訳なく、生まれてきたことすら恨めしく思うと言っていた。“如何に安寧に死を迎えるか”は、自らの問題でもあったが、“その死に様があまりにむごいものであるならば、きっと母親や娘の心に傷が残る”と、心配していた。腹水で膨らんだおなか、身体を動かすたびに疼く痛み、それを笑顔で隠しながら、いつもの生活を過ごそうとしていた。みんなと一緒に食事して、家のお風呂に入って、テレビを見て冗談言って笑う…。毎日が闘いで、毎日が人生だった。そして、コトンと、居なくなりたかった。

みんなで行った銭湯も、日常の一こまだったのだ。娘の髪を洗ってやるとか、母親の背中を流してやるとか、面倒そうな振りをしていても、実は一番幸せな時間。みんなが笑っていたのだ。ディズニーランドだって、何もたくさんのアトラクションに乗りたいわけではないのだ。お土産を買って、パレードを見て、家族で一緒に笑って旅行をしたかった。ビデオをいっぱい撮ってきて、帰って来てから居間で流しながら、楽しかった想い出話に花を咲かせ、つっこみを入れて、おどけて笑いたかったのだ…。

彼女がくれた想い出やもったいないくらいの感謝の言葉は、私達の明日の仕事への力に、そして自信になっている。

心から、ご冥福をお祈りしています。

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