アガパンサス

 若いという印象。50歳の彼は、だだっ子みたいだった。知人の紹介だったが、混んだ外来に突然来て、「自分は不治の病に冒されていて手の施しようがないらしい」と、淡々と言った。まるで本気にしてないような気軽さで、「死」を口にした。もともとあった慢性閉塞性肺疾患に肺癌がおっかぶさったための低酸素状態、咳するたびに肋骨に響く癌性疼痛、そして溢れてくる痰にずっと苦しめられていた。
 肩で息してるんだから、当然すぐ在宅診療開始?と思いきや、「家に来て貰うなんて、大袈裟で嫌だ」なんて言う。外来予約を取ったものの、次の日の「息が出来ないと苦しんでいます!」という奥様からの電話連絡で、在宅診療に突入となった。家を探しながらやっと駆けつけると、にこにこしてベッドに横たわり、「もう治ったみたいや〜。ほんまに来てくれるンや〜。」と、息絶え絶え(笑)に笑っていた。在宅酸素、吸入吸引器がおかれ、点滴ボトルが吊られ、麻薬系鎮痛剤がたくさん処方され、まさに終末期医療の花形達が部屋を飾っても、自分には一切関係ないといった表情で、彼は自分の大好きな空間、家にいた。
 娘や孫に囲まれていて、いつも賑やかなお家だった。世代が若いから、孫達がまだ赤ちゃんで、生命力があふれる空間だったからなのか、亡くなるほんの数日前まで普通に生活を送っていた。息切れなんかそっちのけで、気が向いたらお風呂に入りたがったし、何日も髭を剃るのさえ嫌がったりした。今夜はうどんよりおにぎりがいいとか、サイダーが飲みたいとか、来週末には奈良に出かけたいとか、健康な人の普通の生活みたいに、あれこれ考え予定が盛りだくさんだった。癌に冒された彼の身体は、かなり負担であったろうに。彼にとって“死”は、単に“生”の続きにあるもので、生活の中のほんのワンシーンにすぎないのかもしれない。そんな風に感じさせるほど、彼の死はさりげないものだったのだ。
 心よりご冥福をお祈り致します。


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