雪割草

 

食道や頸部のリンパ節が悪性リンパ腫に侵され大きくなり、お正月から急に何も食べなくなったという83歳のお母様。病歴は長く、これまでも何度となく治療で痛い思いをしてきたから、もうこのまま苦しませないで逝かせてやりたいと、ご家族が相談にみえました。

息子さん達は、周りの親族には事態を知られたくないようでした。なぜなら、できるだけの医療をもっと彼女に注ぎ込み、たとえ苦しくても治そうとする方法を選択するよう強制してくるからと。治療を全く拒否して、死に向かう方法を徒に選ぶとするならば、たとえ家族でもそれは間違いでしょう。でも食べられなくなった時がその人の寿命と考えるのも、自然な流れの一つではないでしょうか。私は、せめて脱水症に陥らないように見守ってあげては如何ですかと説明しました。そのために、訪問診療は必要でしょうと伝えました。この時点で、何が正しいのかは誰にもわからないのです。自然の摂理にかなう、そして悔いの残らない人生の締めくくりをお手伝いしたい、それが私達の使命だと思っています。

医療をすでに拒否している彼女へのせめてもの礼儀として、白衣では訪問しないことを約束し、初めて伺った時、きちんとお化粧をした彼女がいました。何かで支えていないと、たちまち体勢が崩れてしまう弱りようでした。「元気が出るまで、まずは点滴しましょう。」その必要性を一生懸命説明しても、聞きながら頷いてくれるのに、いざ了解を得ようとすると、静かな笑顔で首を横に振るのでした。身体の清拭や、ベッドの導入などに関しても同様。頑なな彼女を前に、ひたすら頭を下げて、好きなようにやらせてやって欲しいと仰るご家族。彼女の覚悟はもうすでに決まっていました。でも、このまま飢餓状態で死なせるわけにはいかない。途方に暮れながら、脱水補正の点滴だけを続けました。そして、少しでも環境が良くなるようにアドバイスしながら、少しずつ心を開いてくれるのを待ちました。やがて浣腸と、顔の清拭だけはさせてくれるようになりました。若い私達がする事の全てを、満面の笑みで包み込むかのように、いつも手を合わせながら、見つめてくれていました。

2ヶ月経ったある日、潮の満ち引きと伴に、彼女は静かに永い眠りにつきました。苦しいとか、しんどいとか、そういった言葉を一度も口にすることなく、「ありがとうな」と繰り返し、最期まで周りのみんなに気を遣いながら逝きました。彼女の潔さに敬服し、心より、ご冥福をお祈り致します。

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