ゆきのした

 

 

娘さん夫婦の真新しい家に引き取られてきた、79歳女性、胃癌末期。見つかった時は手遅れで、手の施しようがなかった。

継母に虐められてこうなったという手指の著しい変形と、小さな女の子の白黒の写真が彼女の人生を物語っていた。「戦時中は誰もが苦しい生活をし、悔しい怖い思いをし、今みたいな幸せな生活は想像も付かなかった」「子供を病気で亡くした事が今も悔やまれる」と、しみじみ話して下さる。にこやかに話しながら、言葉の端々に少し皮肉が混じる。「こんな手で家事はすごく大変だった」「子供に私の苦労はわかるはずがない」気性が少しきついのかな…。結構人から疎ましがられる方かもしれない。娘さんも、独居で気ままに過ごしてきた彼女の老後を看るつもりがなかったらしいが、夫の“たった一人の母親だから”という言葉に心が動いた。

最初引き取られた時は、まだ生きる望みと同居して貰えるうれしさとがあって、投薬や点滴を積極的に受けてくれた。でも、元気になったのは束の間で、段々食べられなくなると、ある時期から急に全てを拒否し始めた。死期を悟ったのか、娘さんに遠慮があったのか。点滴は抜く、栄養剤は飲まない、足に傷ができても見せてもくれない。なのに、ただただ手を合わせ、ひたすらに感謝の念を伝えてくれる。

亡くなる日。咽せて水を欲しがり、自ら喉に流し込んだところで呼吸が止まった。故意だったのか、今も不明。でも、家族に囲まれた環境での在宅療養が、いちばん贅沢で幸福なことだと、彼女は誰よりもよく知っていた。だからこそ最期まで、あの笑顔だったのだと信じたい 。

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