梅花(ばいか)

 

彼は、悪性中皮腫という、あまり一般に良く知られていない悪性腫瘍に侵されて、何度も手術を繰り返していらっしゃいました。それでもまだ、除去しきれない悪性の細胞が、胸腹腔内で増殖し塊を作って、胸腹水を産生し続けていました。かなり痩せが進み、呼吸も荒く肩で息する状態になって、末期状態と判断され、当クリニックに紹介されてきました。胸腹部には、手術痕と腹水穿刺を繰り返した傷跡があちこちにあり、闘病生活の長さと辛さを物語っているようでした。

 “薬は自分で管理していて私には触らせてくれないの”と、第1声、奥様がおっしゃいました。その言葉のとおり、いろんな病院や医院で貰った薬をご自分でしっかり管理されていて、初めのうちは私達にさえ薬を任せて下さいませんでした。強い睡眠薬をもう20年以上にわたって服薬しておられ、神経質な性格をうかがわせていました。起き上がりにはかなり時間がかかるのに、足取りはしっかりされていて支えなしでトイレ歩行が可能でした。食欲は旺盛で、好きなものをリクエストしては、体力をつけなければと、きちんと食べていらっしゃいました。身体をきれいに清拭して、時には入浴も介助させて頂いているうちに、段々と身体の管理を任せてくださるようになっていきました。排便コントロールや投薬の管理もさせていただくようになった頃、腹囲はかなり大きくなり、呼吸困難、食思不振をきたしていました。

 お正月が明けてすぐ、‘何よりも、このお腹を小さくする治療を始めて下さい’と真っ直ぐに私の目を見て彼は訴えました。私はどうやって説明しようか悩みました。お腹の中はおそらくは腫瘍の塊ばかりで、小さくする手段がもはやないという段階まできていました。もう化学療法に反応しなくなっている癌細胞、胸腹水を薬によって最小限にとどめているにもかかわらず腫瘍そのものの増殖によって大きくなってしまったお腹。何日も引き延ばして、もう待てなくなった様子を見て、できるだけ静かに分かり易く、だけど確実に残酷な話をしました。お腹を小さくする治療法がもう無いと告げました。彼の悲嘆は如何ばかりであったろうと思います。ただ一言、もうあかんな‥と寂しくつぶやかれました。私達にできる何かがあるとすれば、それは誠心誠意、快適に過ごせるようお世話を続けることでした。死と向かい合い戦っている彼から目をそらさないでいよう、厳しい現実から逃げないでいよう、私達はそう了解し合い、訪問を続けました。

梅の花芽が少し膨らみかけた寒い朝でした。電話が鳴って、もう息がないようだと連絡が入りました。静かに目を閉じたお顔には、安寧な時間がやっと来たというように微かに安堵の色がありました。長い闘病、本当によく頑張られました。御苦労様でした。心から御冥福をお祈り致します。


                                  

                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                                                                                                                                                            

望み 

        ●最期まで 

 



 


 

戻る