「声が嗄れてきて、まさか肺癌が見つかるとは…。しかも、一度“ここまで”と諦めた命が、飲むだけの抗癌剤で今日まで生きてしまいました。」初診で病状説明してくれた時、彼は私にこう言いました。余命6ヵ月と宣告された肺癌の診断から、既に4年半が経っていました。彼は痩せた肩で少し息を切らせながらも晴れ晴れしく笑い、とっくにスタンダードな治療法を断り‘イレッサ’という、当時副作用だけが大きく報じられた経口抗癌薬を自殺まがいに服用し始めたところ著効してしまったことや、ブログをインターネット上に公開していることを話してくれました。そして、いよいよ最期の時が近付いていると思う今、痛みや便秘や脱水など好ましくない症状に対して医療的手助けをして欲しいと、当クリニックを訪ねてきたと言うのでした。
 初診から月に1回は外来受診され、病院で受けている検査、薬の内容を解説して下さり、腫瘍や転移巣の大きさを報告してくれました。目に見えて痩せてきて、歩けなくなってきたのは、それから4ヵ月半後のことでした。
 胸郭の痛みに悩まされていたので、すぐ軽い麻薬を始めました。少量で痛みが消えたらしく、訪問するとベッドに横たわりながらも笑顔で、「先生来てくれたんかぁ。」と仰いました。既に肝、脳、骨、骨髄への転移は著しく、顔は黄染し、幻覚、譫妄が出てきていました。机に、一通のお手紙が置いてありました。「話を聞いて下さるいいお医者さんに巡り会えて幸せだった。」最期まで「何も‘しない’でください。」と何度も綴られていました。
 返事してくれなくなったと奥様からコールがあった最期の日、私は何回も足を運びました。その生死をしっかり見守ることだけが、私に託された彼との約束でしたから。

戻る

石蕗