彼は外来に来て、「肺の癌らしいわ。でも自分ではどうって事なくて…。」と、息を切らせながら話してくれた。身体が大きくて、長年の肺癌治療を思わせる、満月様顔貌をしていた。抗癌剤投与や放射線治療で診てくれていた大学病院から、急に(おそらく、以前からも何度も仄めかされていたと想像するが)、ホスピスなどの緩和医療を薦められて、彼は正直とまどっていた。まだ54歳。切除不能と言われながらもなんとか1年以上も命を永らえた、この奇跡が永遠に続くと信じているようだった。いや、信じていたかったのだろう。
 脳には既に転移巣があり、段々と大きくなってきていた。2ヵ月前から、簡単な計算が出来なかったり、思っていることが言葉にならなかったり、人格が少し変わってきていた。突然怒り出したり、涙もろかったり…、妙にハイテンションだったり。2階の自分の部屋に上がれないのは息が切れるせいだけじゃなかったが、それにすら、気付くこともできなかった。
 内縁の妻は甲斐甲斐しく、世話をやいた。2階に上がらなければならない彼の家では、十分に動かしてあげることも出来ず、彼の母親の家に二人して転がり込んで療養を手伝った。最初は自分の足で歩いてトイレへ行けた彼だったが、1週間もすると這って移動していた。うまく訴えられなかったが、身体があちこち痛んだ。痛みに対して麻薬が使われ、その副作用の便秘に苦しんでいた。やがてイライラして過ごすことが多くなり、薬が飲めなくなり、麻薬の入った持続点滴につながれた。呼べば目は開けてくれた。でも、一旦起きてきて動き出すと手がつけられず、体が大きい分制御しきれず、また薬で眠らせるという状態が続いた。
 妻は訊いた。「痛い?」「痛くない。」「苦しい?」首を横に振る。この何度も繰り返された短い会話が、結局、最期の会話になった。妻がたまたま家に戻っている間に、彼はひとり、そうっと逝ってしまったのだった。でも、その穏やかな、少し笑ってるみたいな顔に、いっぱいの感謝の気持ちが溢れていた…。
 心より、ご冥福をお祈り致します。

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山帰来