桜草

63歳の彼女は、にこにこしながら私達を迎えてくださった。もともと無口なのか、身体がしんどいからあまり言葉が出ないのか、口数の少ない方だった。横で蕩々と説明してくれる旦那様を、自分の分身とでもいうみたいに、自分は何も言わずただただ隣でにこにこされていた。大腸癌末期状態。手術した断端からの再発、お下から絶え間ない流血、だから週1回は欠かせない輸血。ずっと続く腹部の鈍痛、だから麻薬の投与、そして副作用との闘い。家人や医療スタッフ、裏方の、目を覆いたくなるような大変なケアをよそに、彼女は「家でのお食事はやっぱり美味しい。」と嬉しそうに言ってくれる。家では食べられる!という言葉を信じて点滴なしで頑張っていたら、あっという間に脱水状態。夜中に点滴の静脈路確保に苦心すること2時間。きっとしんどいのに、痛いのに、でも、彼女はずっとにこにこしてた。
 こんな重症な状態で退院してくるなんて、知らない人には驚かれるかもしれない。でも、彼女は本当におうちに帰ってきたかったんだ。残りの時間が短いからこそ、愛する家族に囲まれて時を過ごしたかったんだ。「お世話かけてゴメンね」「ありがとう」って、何回も仰ってた。確かに家での介護は、想像以上にしんどい。でも、おうちで精一杯お世話できた旦那様や娘さんの方が、本当はもっと幸せだったんだよ。私達に胸を張って自慢してたくらい。
 大好物のすいか、大きいのを4切れも頬張って食べた翌朝、彼女は笑顔のまんま、永遠の眠りについた。


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