林檎の花

 

 

 

高齢の方の癌は進行が遅く、また症状にも現れにくいので、診断が遅れたり、検査結果と臨床症状がかけ離れているように見えがちです。彼の場合も、痰に血が混じっていることに気付きすぐに受診されましたが、気管支分岐部のそばに大きく育った腫瘍がみつかりました。手術する事も出来ず、出血を止める点滴と放射線照射を受けられました。症状が安定した時点で、完治が望めない事を知ったご家族は、残りの時間をせめて家でお世話したいと望まれ、当クリニックに紹介されていらっしゃいました。

初めての訪問では、入浴も排泄もお食事も全てご自分ででき、意識も見当識(日時や場所、自分の状況等のこと)も十分に保たれていて、さて私達は何をお世話させていただこうかという感じでした。彼にしても、血を吐いて入院し治療は受けたが、看護師に家に来てもらうほど老いぼれてもいないのにと、内心穏やかではないご様子でした。けれど、「年寄りは年相応の弱り方をしないと周りの者に迷惑や、お任せしますのでよろしくお願いします。」と、テーブルに真っ直ぐ向いたまま、おっしゃいました。

目を見て話してくださるようになったのは、看護師達ともうちとけ、ご自分の昔話を聞かせて下さるくらいになってからでした。盆栽に実った小さなリンゴが色づくのを眺めながら、いろんなお話を聞かせて下さいました。

胸部の不快感に麻薬を使い始めていたため、排便のコントロールが悪くなっていました。麻薬は腸管の動きをかなり悪くします。便がお腹の中に溜まってしまうと、また別の苦しみと戦わざるを得なくなるため、顔を見るたびに排便の確認をしていました。出せない時には浣腸を薦めるのですが、その時の残念そうなお顔。でも私達を本当に信頼して下さっている様子で、いつも正直に出ていないと告げて下さるのでした。

幾度かの発熱、吐血、不全片麻痺(片方の上下肢の自由が利かなくなること)などを繰り返し、少しずつ状態は悪化していきました。家に戻られてから7ヶ月、普通の生活をご自宅で過ごされながら、最期の時はやっぱり来ました。こうと決めたら頑として聞かない昔気質な彼らしく、亡くなる前日までベッドから起き上がりポータブルトイレを使われていました。しんどいとも苦しいとも口に出さず、でも最期1日はあまりに頻回に身体の向きを変えていらっしゃるので、身の置き所がないのだろうと思い、少し鎮静剤を投与しました。いつもより静かに過ごされたあと、穏やかな寝息は静かに止まりました。望まれたように、まるでそれが自然摂理に沿った当然の成り行きのように。

5年の素晴らしい人生、本当に御苦労様でした。心より御冥福をお祈り致します。


                                  

                                      〜 看 護 婦 手 記 〜

                                                        ●強い意志

                                                        ●頑固親父

 


 

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