病状は急変した。意識のレベルが急に落ちた。何が原因かは、もはや調べようもなかった。体力が限界まで来ていたから、検査にさえ耐えられそうになかった。不思議と血圧や脈拍は安定していて、それまで顔をしかめさせていた腹痛もなく、深い眠りに入っているだけのように見えた。
 次の日、たくさんの親族が彼のベットを囲み、私達の到着を待っていた。病状を、「膵臓癌が身体を占拠してしまったから、その持ち主の生命が危ぶまれている」のだと説明した。「痛みをとって、苦しくないように、最期の無事の着陸を目指しましょう。」とパイロットみたいな事を私は言った。 誰かが「痛みを取るだけ?治療はしないんですか?」と訊いた。痛みの緩和こそ、今彼が必要としている治療なのに。この事態に至るまでにこの半年、どんなに彼が闘病したか。まだ57歳。簡単に生きる事をあきらめたわけではない。しかし癌が身体から根絶できないと判った時、彼は潔く自分の“生”を全うするために、私を訪ねてきた。病院へ入院した方がいいとか、安心だとか、無責任なことを言う前に、大切な人に囲まれ、大好きな自宅で、こういう形の闘病を彼が最期に望んだことをわかって欲しい。「食べられないからせめて点滴でもしてもらおうと思って」と外来に飛び込んできた彼。「しんどくて行けないから、来て」と電話してきた彼。亡くなる瞬間までたくさんの方々に見守られて、淋しがり屋の彼にぴったりだと思った。
 心からご冥福をお祈りしています。


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